浄土真宗だとあんまり言わないが、仏陀の目指した「悟り」とは何かに迫る。
真宗系の本ばかり読んでいるが、いったい上座部仏教ではどのように仏教を解釈しているのかを客観的に知りたくて読んだ。著者が宣言している通り、信仰者ではなく、仏教哲学に基づく悟りの実践者としての立場から、典拠を明示してブッダが求めた悟りについて簡潔に分かりやすく記述されている。
テーラワーダはこういう風に考えているんだという事が理解できた。
自分自身は、まったくこの分野に詳しくないので、これが正しいかどうかに関しては判断しかねるところがあるが、日本の大乗仏教と今いる上座部仏教との大まかな違いが分かったのは収穫である。
なお、テーラワーダのパーリ語経典に関しては、ブッダの言葉を翻訳している点と、一部存在が不明になっていた時期もあることから、漢訳の阿含経より新しいのではないかという疑惑もあるので、何が原点なのかという事はよくわからない。
少なくとも、上座部仏教も、大乗仏教も、人間の苦の開放を目指していることには間違いがない。それが時代や民族の文化と共に変遷したとしても自然なことだろうと思う。
非常に刺激的な内容であるので、仏教哲学一考として読むのはいいと思うが、これを読んで実践に走る前にもうちょっと勉強した方がいいと思う。
面白い本は、やっぱりちょっと毒味があって、そこが魅力だな。