如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

『宇宙観』を感じた法話の備忘録(瓜生崇師)

  今日はお聴聞に滋賀のお寺まで遠征。瓜生崇師の法話を聴いてきた。

 

 午後の部だったが、永代経法要なので、式章をした恒例の門徒さんがほとんど。いつもお布施を係の人に渡すとき、場所によっては法話だけ聞きに来るなんて珍しいと不審がられるのが非常につらい。こちらはどうぞどうぞでよかった。

 

 まず、今日の法話を書き留めておきたいと思った。以下は私の備忘録。

 いろいろ法話で、数値化したものについて、ガンジス川の砂粒の数ほどの仏、天女が舞い降りて100km立方以上の大岩を羽衣でなでてその岩がなくなるまでが一劫。五劫思惟した法藏菩薩とかの正信偈に出てくる表現がある。今日の法話は、そういったものがすべてもれなくお話に入っていたのだ。仏願の生起本末が勤行する正信偈ベースで解説された。

 そして、無明である人間、自分、独死独生。知らない間に生まれて、一生懸命生きることを強いられて、そして病に苦しみ、死ぬという存在。このことに自分は指一本触れることができない。ここまでのお話で、私だけでなく、その場にいる皆さんが、深い頷きと、そうだ、この身は一体どうなるものなのだろうという気持ちにぐっと寄せられた感じがした。

 そして第十一願のお話。法藏菩薩が立てた誓いは、「たとえ私が仏になったとしても、すべての人々の浄土往生が定まり、この身を終えたときに涅槃を得ることがなければ私は仏になりません」。ここでは生死について、ずっと続いているものだといういわゆる輪廻のお話。そして衆生をすべて救うという誓いを立てる難しさ。自分には到底できないと思うことを例示ですごく頷かされる。

 さらに第十七願。「諸仏が南無阿弥陀仏と褒めたたえなければ仏になりません。」十方に広がる南無阿弥陀仏をイメージさせられる。いまここにも響く南無阿弥陀仏。そこで第十八願のお話。南無阿弥陀仏は、私が唱えているのではない。私たちの念仏はどういうものか。

 最後は浄土とは。倶会一処は好きな人だけに会えるところではない。そこにずっといるところでもない。法藏菩薩と同じ願を起こし、この世に還って南無阿弥陀仏に会えるような働きとなってくるのだと。

 

 こうやって書いていると、お聴聞している人だと、「いつものお話だ」と思われるかもしれない。私もそうなんだが、今日はちょっと違うように感じた。なぜかというのを考えてみた。

 それは一言でいうと、『宇宙観』かな。仏教の言葉は、長さや広さの表現が突拍子もなくて、それが人知で推し量れないことを訴えている。その突拍子もない例示を一つ一つ聴いていると、今、ここにいる現実的判断能力のある私を飛び越えて、想像から違う世界の存在を感知する自分がいる感じになる(あくまで感じ)。そしてわかるとは言い切れないけれども、法藏菩薩の視座。人間がとても思いもつかないような高い視座からの誓願を感じることができる。十方に響く南無阿弥陀仏もそう。そういう世界を今ここで感じられるような気がした。時間、空間、音、世界、ここを飛び越えた世界をイメージする自分がいた。

 この感じは以前に本で出逢った。大峯氏の法話の本である。大峯氏は素晴らしい言葉の紡ぎ方で一気に引き込まれる感じだった。西洋哲学的には、存在を証明できないものは語れないというところがあるが、それをぐっと宗教的に”あるもの”として飛び越えて、素晴らしく語られている。その時に似た感じだ。

 瓜生師の仏願の生起本末は、正信偈や仏典に書かれている表現をきちんと伝えられてる。ほとんどの法話もきっとそうされている。でも、時間によったり、中身によって、『突拍子もない』表現のところをちょっと端折ったりしていないだろうか。私は、本当はこの『突拍子もない』表現から醸し出される『宇宙観』というのが、今日よかったところではないかと思う。煩悩具足の凡夫であることについては、いろんな例示で、それこそ講師の方のお話でいくらでもうなずける点はあるだろう。しかし、生きている私、人生の主人公である私という存在が、大きな世界の中、宇宙の中では、ほんの一瞬の、ほんの小さな、ものかもしれないという気付きを持つことも必要だと感じだ。私はその中の一部なのだと。

 最後15分の十八願の念仏から浄土に関してのお話は、宗教人としての瓜生師のお話の真骨頂であった。特別なことを話されているわけではない。独自の表現ではなく、真宗の教えの基本をお話されているだけなのだが、そこから伝わってくる宗教人としての熱量は、聴聞する人々に確実に何かを与えるものがあった。それは自分も含め、お聴聞されていた方々の終わった後を見て思った。これ以上は私の表現力では陳腐化してしまうので、生で聴いていただきたい。

 お聴聞してどう感じたかは、人によって全然違うと思う。しかし、自分がなぜ今回こう感じたかを含めて、自分をさらけ出す意味で備忘録として書いてみた。

 

瓜生師の著作紹介はこちら

 

luhana-enigma.hatenablog.com

 

 

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