如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

宗教なき時代を生きるために

 

宗教なき時代を生きるために

宗教なき時代を生きるために

 

  面白い本だということでいただいたもの。私が読んだのは上の旧版だが、最近新しいのが出ている。

 

 

完全版 宗教なき時代を生きるために―オウム事件と「生きる意味」

完全版 宗教なき時代を生きるために―オウム事件と「生きる意味」

 

 こちらは未読だが、参考までに。旧版にオウム事件の死刑執行後の加筆があるらしい。

 

 今回の感想は旧版で。

 何を隠そう、私のスタンスも最近まで著者と同じように、「宗教としては信じられない」という感じだった。哲学として学問的に勉強した分、中に入らないというスタンスを貫いてきた。いろいろな人生経験の中で、一度お聴聞に行って、そこからなぜかずっと続けるようになった私は、もうすでに著者の対岸にいる存在だろう。

 「宗教性」の問題である生死の問題について、「宗教」以外の解決方法があるという。それは、「宗教」に乗り切れない孤独を抱えた人たちが、緩いネットワークでつながるというもの。「宗教」ではないから、とびぬけたリーダーもいない。そのネットワークでつながった人はいつでもそばにいてくれるのかな。必要なのは、いつでもそばにあるものじゃないのかな。少なくとも自分はそう。

 第二章を読むと、著者はどちらかというと、外的なものに解決を求めるのではなく、自分が超越した力を持つことによって解決する方を選ぶタイプの様だ。この思いが強いと「浄土真宗」には乗り切れないだろうなと感じた。

 オウムや新興宗教にはまっていく人の解説というかシミレーションのところはすごくよかったのだけれど、第三章の尾崎豊のところが、正直なところ、自分には良さがわからなかった。というのも、尾崎豊という存在前提の話なので、全然知らない私としては、想像力をもってしてもちょっと理解が難しかった。やはりミュージシャンの方なので、ファンの方であれば非常に興味深いポイントだとは思う。友人に聞いたら、発売当時はオウムより尾崎豊論の方が話題だったとのことなので、そうなのだろう。

 この本が合うなと思う人は、

①自分は宗教は無理という人が、同類だけど結構ぎりぎりのところで踏みとどまっている人がいるという新しい世界を認識できる。

②信仰することで悩んでいる人が、絶対信仰にはいかないと言っている人のスタンスを学ぶことで、自分を客観視できる。

③尾崎豊のファン。