如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

お葬式で南無阿弥陀仏に遇う人はいる!

  藤場師を連続で読了。今回は葬儀の意義について。

南無阿弥陀仏の葬儀 サンガ伝道叢書

南無阿弥陀仏の葬儀 サンガ伝道叢書

 

 

 

  リアル本はこちら。

南無阿弥陀仏の葬儀 (サンガ伝道叢書)

南無阿弥陀仏の葬儀 (サンガ伝道叢書)

 

  葬儀に人が集まることについて、次のように記している。

死んだ人が 集めたというよりも、その方が仏さまとして人を呼び寄せてくださっているのだと私は考えています。

 還相回向というのはこういうことだな。自分は幾度となく、大事な人の葬儀という場面で、自分の人生について気付かせていただくことが多かった。人間から苦悩はなくならない。悩んで苦しむことから抜け出せない。だからあえてそれに向き合うのが仏教なのだ。

 仏教に親しみのない人からすると、じゃあ、死んだらどうなるのかわからないじゃないかという反論があるかと思う。それについてはこう語っている。

亡くなった人が仏さまに成ったかどうかわからなくても、仏さまに成ったという一つの物語の中で、私たちは実際に行動しているのです。

「すべての人を仏に成らせたい」という願いの物語の中でこういう仏事が営まれているのです。

 冒頭にもでていたが、死んだらどうなるかわからないから、遺体はごみでいいのですか?という話になる。そうはいかない。

  自分は葬儀や法事はとても大切だと思う。というのも、自分が実家を離れて久しいからだが、葬儀・法事に帰省して参加するというのはとても意義があることだと感じる。自分自身、仏教に興味を持ったのは、幼いころに経験した祖父の葬儀での法話がとても素晴らしく、忘れられなかったというのがある。父は決まっていなかった自分の代からの墓をどのお寺にしようか悩みだした。私は長い時を経てお聴聞を始めた。これはすごい場なのである。そんな人は珍しいと言われるかもしれないが、現にここにいるので、僧侶の皆様には、葬儀・法事での法話には力をいれてほしいと個人的に思っている。絶対に南無阿弥陀仏が聞こえる人はいる。