如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

浮気して大法輪の「これならわかる道元『正法眼蔵』読み方ガイド」を読んでみた

  Twitterで大法輪閣さんの公式アカウント見て、ほしいと思い、買ってしまった。

大法輪 2019年 10 月号 [雑誌]

大法輪 2019年 10 月号 [雑誌]

 

 

 浄土真宗の本でていっぱいなのに、なぜ興味がわいたかというと、ある本の中で、『法然と親鸞はある意味比叡山の落第生だが、道元は超優秀卒業生』みたいな表記があったので、優等生ってどんなんだろう・・・と思っただけである。

全95巻・・・。お一人で書かれたのか・・・。ダイジェストなので、小見出し見ているだけでも、分類大変だな・・・という題名で構成されている。

専門用語でいうと堅苦しいので、まったく曹洞宗を知らない私がダイジェストを読んで感じた事を箇条書きにしてみる。

・坐禅していたら、悟りに入り、その間は仏。仏の間は世界に作用する(いい働き?)

 →弁道話のところ

・仏性あるけど、修行しないと意味ない

・存在と時間は同時にある

・坐禅は生かされている事実をあるがままに受け入れている事の実践=仏の姿=仏行

・比叡山にある秘書ってみたことあるひといるのでしょうか?興味深い。

・「月」と「都機」の例えはなんとなく、阿弥陀の救いの構造(あくまで構造)を思い起こした

・最終的には、『修証義』できっかけつかんで『正法眼蔵』に入れというのがいいのでしょうか

・「而今(にこん)」という用語見て、カメラのニコンの社名の由来をググったのは自分だけではないはずだ

 

大体こういう感想になった。非常に難しいイメージがある。漢文を独特に読み替えるのは親鸞聖人と同じなのでそこは宗教人ならではだなと思う。

こんな感じで、たまには他宗の教義にも触れてみたいと思う。

 

ちなみに、この特集とは全く関係のないコラムのところで、正しいお箸の持ち方をできない女子生徒に「お嫁にいけなくなちゃうぞ」と担任の先生が注意したところ、生徒の母親がクレームを入れたと。それに対して「こんな母親に育てられる娘さんが可哀想」と著者である僧侶がおっしゃるというものがあった。筆者が言いたいこともわかるけれども、正直、誰もいいことない書き方なので、もうちょっとなんとかならないのかなあと思った。躾ということに関してご意見があるのはわかるが、その例として、「嫁にいけるいけないをいい悪いの基準にしている価値観」が時代遅れであるということに気がついてほしい。そういう価値観のところに女性がやってくるとはとても思えない。そして「こんな母親」というのもどうなのだろう。その一面だけですべてを断じてもいいのだろうか。そういうところが恐ろしい。お箸をちゃんと持てない女子生徒も、そんな注意しかできない担任の先生も、クレーム入れた母親も、このコラム書いている僧侶の方も、だれも得していない。

以上で曹洞宗への浮気報告を終わる。