とても表題がよかったので、そのまま投稿タイトルにしてしまった。
歎異抄は、別の本で読んではいるが、この本はさらにくわしい解釈があるので、初心者にもお聴聞をしている人にも両方にお薦め。初心者の人は、通常の読み下し内容だけでなく、仏教用語、そもそもの真宗の教えを背景とした解釈を知ることができる。お聴聞している人にとっては、どのように教えを受け止めてお聴聞していくかのヒントがたくさんあると思う。人によってきづきがあるところは違うと思うが、自分がいいなと思ったところだけ、少し抜粋。
第一章より
その頷きも感情と理知の所産であるならば、やはり「恍惚の信」なのです。
聞いてそれから新たに信を得るのではなく、聞名の念仏に育てられ、聴聞を通して「本願を聞く耳を賜る」、それが真宗の信心の成就なのでしょう。
第二章より
如来と共にある人生とは、闇と共にある我が生への自覚と仏への懺悔にほかなりません。
聴聞する姿勢について、気づかされた部分。
別の章では、往相回向と還相回向による念仏のはなしがあったが、これは最近聞いた瓜生師の法話に通ずるところだと感じる。
Kindleのハイライト機能をたくさん使ったので、このままだと引用だけになってしまう・・・。それだけ短くとも気づきの多い分がたくさん詰まっている本だと言える。
読み方のポイントは、各章の最終の一段落はじっくり読む!これだけでも味わい深いこと請け合い。
臨終の一念まで底なしの迷いを生きるのが人知です。しかし、それに寄り添わんとする仏智もまた無崖底なのです。それこそが、不可称不可説不可思議なる 如来の義なのです。
かなりページ数が少ない本なので、是非手に取って歎異抄のエッセンスをくみ取ってもらいたい。
☆前に読んだ歎異抄のレビューはこちら