如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

仏教に教義は必要だが、主義はいらない

自分は己が信用できないので、なんでも公平に見るようにしなければと気をつけている。以前、ブックレビューであまりいいことを書かなかった尾畑文正師の講演があると知って、直接お話を伺いに行くことにした。本とは違った受け取りができればと思ったからだ。

 

 

luhana-enigma.hatenablog.com

 

いつも書いているが、自分は一般的なサラリーマンであり、誰かの親でもあり子でもある。菩提寺はないし、聞法も今年に入ってから始めた人間である。仏法を求めている。

 

今回のテーマは、聖徳太子の言葉として有名なものをあげられていた。本当は歎異抄のところを引きたかったがタイトルとしては長かったためらしい。

 

著書でも、イデオロギーに関する部分が多くあったので、今回はどうであろうかと思ったが、やはり中心はこの話題だった。

以下、自分が気になったところ。

・自分は最近、いろいろなことが信じられなくなっている。ここからお話しすることは、私の思っていることで、デマかもしれない。信じないでください。

→だとしたら、なぜそういう内容を教団の箱で講演として行うのか理解に苦しむ。

・憲法第九条は聖徳太子の精神が反映されている、阿弥陀仏の本願に呼応するものである。

→戦争に反対する=不殺生という意味か・・・。自分は前段の話だけでは得心いかなかった。

・目が悪いので、最近の本は読んでいない。

→では話されているような最近の話題の情報はどこから得ていらっしゃるのか。

・台風19号来襲の際、テレビでは「自分の命を守ってください」と、自助、自己責任の話ばかりしている。何があっても、国民の生命、財産を守るのが国家ではないのか。国や地方自治体がどうしていたかが全然見えない。

→テレビは危機感を持たないで避難しない人がいるからの注意喚起だと思うのだが・・・。呼びかけはメディアがミッションとして持っているところでもある。今ここの危機対応の話であって、国家どうこうではないし、自分の知る地方自治体に勤務する人々は、自分のことはおいといて、確実に対応準備を真摯にされていたと感じている。なにを以て見えていないとおっしゃっているのかがわからない。

・台風19号のときの計画運休は、結局新幹線が水につかっているし、どこまで計画していたのか疑問。本当は計画なんてできていないのではないか。

→ちょっと、それはないだろ。JRに勤務する友達に謝ってほしいと思い始めた。

・東日本大震災の時に計画停電とかやったのも、本当は大丈夫なのに、国民に原発がないとだめだということをすり込ませるためにやっている。

→根拠がほしい。

・3年半ぶりに日本に帰ってきて違和感があった報道が、台風19号の時に、自衛隊の報道が少なくなった。これは、自衛隊は軍隊であって、災害時に動員する部隊ではないということを政府が言っている。だから自衛隊は現地に行っているのに報道が少ない。

→多い少ないの判断基準とはなんだろう。これも根拠がほしい。

・自衛隊員の命を守るのは、憲法第九条。自衛隊員の命を守るために憲法第九条を護らなければならない。

→自分は国家防衛戦略には詳しくないが、普通にニュースを見て、周辺国の兵器が日本領土に届くということを理解しているし、先制防衛行為ができないと、自衛隊じゃなくて本土の国民に被害が出ることは想像できる。そこへの対応はどのように考えているのだろうか。自衛隊の命だけのフォーカスなのだろうか。

・政府は国民を自由に操ろうとしている。国民の命を守れない、そんな国家や政府はいらないと思う。

→操ろうとしている根拠がないと理解できない。まさに国民の命をどう守るかの改憲議論なのではないか。阿弥陀仏の本願に呼応しているというだけで第九条を護るという選択肢のみを推しているところの説明は不十分に感じる。

・某他国では、65歳以上は身分証明書を出せば、外国人でも公共交通機関は無料になる。日本もこういうおおらかな心で物事を進めてほしい。視野が小さい。日本もそういう制度があるけど、年齢が70歳以上で地域住民限定のようなもの。

→某他国の人口ピラミッドを確認した。人口の半分は20代以下。老年人口は8.2%、日本は26.6%(ほぼ2015年時点統計)。案としてはわからなくもないが、それで今の政府を批判する材料にはならないと思う。むしろ、現在そのメリットを享受する世代のみなさまが、現役時代にそのような展開ができるように事前にご準備いただいていればよかったのではないかと思ってしまう。申し訳ないが。

・憲法を変えるのではなく、生かすのが大事。

→憲法を改正に反対なだけでないということであれば、具体的にどういうことなのかふれていただいてもよかった。

・自分が愚かな凡夫であると認識するだけではなく、そこからお浄土に行く歩みをするということが大事。自分だけが救われるのではなく、自分以外も共に救われる世界を考える。

→そこも話の流れで行くと、結局は国家=日本という枠組みで考えているに過ぎない気がする・・・。

 

自分は、宗教としての仏教を信仰している立場として、同朋の間に共にする教義はあるべきだが、特定の主義(イデオロギー)を共有する必要はないと思う。信仰して生きる道というのはおのおの個人にあり、それがどのようなベクトルに向かうかは自由だ。たまたま特定の主義主張について話していて気が合った、じゃあ、一緒に活動しようというのであれば個人的にやればよい。SNSで発信するもよし、デモに行くもよし、自由だ。まったく問題ない。しかしながら、教団施設での講座で、「デマかもしれません、信用しないでください」といいながらこういった内容の話がなされるのはどういうことなのだろうか。どういったメリットが教団にあるのだろうか。全然理解ができない。そして、教団に所属している人がみんな同じ主義主張ではないはず。「戦争に反対」までは一緒の人も多いだろう。でもそこから具体的に「憲法第九条を護る」は教団所属者の総意なのか?そしてこういった場で、それなりの立場の人がいうことで、その方向性にリードしていってしまう可能性についてはどのように考えられているのだろうか。

 

自分は講師の方については、今までのご経験から、この主義を掲げるを選ばれたのだろうということでいいと思う。問題は、この場で話す内容なのかというところ。勤行し、三帰依文を唱え、阿弥陀如来のご本尊を背にお話しする内容なのだろうか。「デマかもしれないこと」をご本尊の前で話す。自分は十悪の「妄語・綺語・悪口」という言葉が頭をよぎった。活動されるのであれば、教団と関係のない、セミナールームとかでなさったらいいのではないか。

 

政治的な話を出されるのであれば、それを聞いた人の影響を考えて、正確なことを話していただきたい。「信じないでください」で済まされるものではない。教団主催イベントかつ施設内ということは、重い意味がある。

自分も仕事で300人以上の規模のビジネスセミナー企画を担当しているが、イデオロギーに関する内容に関しては、会社がそれを支持・支援しているかのように思われるリスクがあるので最大の注意を払っている。極力入ってこないように排除している。お客様がそういったことに非常に敏感だからだ。

 

公開されている講座なので、一般の方も入ってこられると思う。そこでこういったお話があった場合、ここの教団は、こういった主義のところなのだなというところと、イデオロギーの話が公式に出ている時点で、宗教として聞けなくなる人もいるということは認識していただきたいと思う。

そして講義テーマも聖徳太子の言葉なので、政治的内容を予想しないで来る方もいらっしゃると思う。少なくとも自分がいままでお聞かせいただいた法話で、ここまで政治的な内容を話されたものは一つもない。

もちろん、教団あげて「憲法改正反対」「政府のシビリアンコントロールに疑問を持つ」などという主張に舵を切っているのであれば、大変余計なことを申し上げてしまった。また、現役ビジネスマン世代なんて相手にしていないというのであれば、仕方ない。まったく自分がどうこう言う問題ではない。

今回、問題提起的内容ではあるが、真宗大谷派の公式のイベントかつ、影響力のある講師の方だったので、あえてお名前を出させていただいた。

一般人からの感想である。