如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

お参りは少なくなっているのだろうか(報恩講 逮夜集会)

11月23日(土)の逮夜集会に参加した。

http://m.shinshuhouwa.info/article/index.php?id=45760

 

快晴かつ暖かいいい気候だった。

10分前に到着したところ、福井教区の赤いたすきをしたみなさんが中央の柱の間前列にいらっしゃる以外はそんなに多くない。前1/3しか人がいない。一番右の椅子席だけ満席。真ん中の柱の間だけに人がいて、左右はまったくいない。これって9月に行った井波別院より少ないのでは・・・。

感話は北海道の女子高生。明瞭かつ感情豊かな話し方で、「空しさ」について。

 

報恩講法話は、杉浦道雄師。さすが大学の先生で、ゆっくりと語りかけるようにお話しをされる。

まずは女子高生の感話の「空しさ」からとりあげられる。そこから人間の心の声を見いだしていくはたらき、仏の慈悲へ。

そしてここでつなげて2023年慶讃法要のテーマ「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」を取り上げる。南無阿弥陀仏が入ることで、仏さまの目線となると。南無阿弥陀仏は種まきである。徳の詰まった種を自分の周りに巻いても出ない。そして種を向いてみると、仏さまの願いが詰まっている・・・。と内容はここまでにする。

①直前の感話 ②次の大規模法要のテーマを入れる ③もちろん南無阿弥陀仏の話

④種・・・。 こう来たか。種、外で配っています。種、もらえちゃいます。外出たら。Twitterでさっき見た。報恩講で配っていたのである。

この報恩講に関わるすべての重要要素を余すところなく取り入れ、かつすべての人に届く内容を12分にまとめている。

うちの会社にいたら間違いなく出世コースの完璧なプレゼンテーションである。失礼なたとえであることは重々承知である。でも本当に瞬間そう思った。

願わくは、杉浦師の心の赴くままのテーマで90分ほどのお話しを是非次回お聞かせいただきたいと思う。遠征しよう。

 

ここで一つ気になったこと。お参りが少ないのは前年比がわからないからなんとも言えないが、天気のよい土曜日の午後としてこのようなものなのだろうか。

と思っていたら、法話が終わる3分前ほどに、バスが到着したのか一斉に人が入ってきた。それでも真ん中の柱の間はいっぱいにならない。もちろん両サイドはほとんど人がいない。法話の途中で入ってくるのは何だかなあと思う。バスが遅れたのなら仕方ないけど、同じ団体ではない人たちも見受けられるので、それはみんな逮夜が始まる前を照準に来ていると言うことなのか。自分としては、真宗は聞法あるのみのはずなのに、10分ちょっとというのは非常にさみしい。めったにお聞かせいただくことの出来ない講師の皆様のお話しがたっぷり一日聞けるとかだといいのになとか勝手に妄想した。

ちなみに自分含め、独りで来ている人たちは、法話が終わったら退出していった。法話が聞きたくてきた人たちだ。本当は勤行もすべて見たかったが、次の予定があったので自分もここまでの参加。

前年がどうだったのかわからないのだけれども、参加されている御同朋のみなさまはかなり高齢。標準的な人間の平均寿命からして、5年後10年後はどうなっているのだろうと考えさせられた。客観的に考えての話だ。

2023年の慶讃法要はどうなるのだろうかともちょっと思った。別に自分は教団関係者ではないのだが・・・。