如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

親鸞聖人讃仰講演会 2019

全部で4名の先生のお話を聞いた。まとめてメモをしておく。

 

11月26日(火)

「「本願信ずべし」という確信について」 小川一乗氏

正像末和讃「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 

      摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」

聞法により、すべての因縁が消え去っていくという仏国に生まれること。生ずることも滅することもない世界に背き続ける私が照らし出される。すでに照らし出されて明るかったのに、見えない。目をつぶっていたのは自分なのだ。

私達は因縁でつくられている。

インド仏教を専攻されているので、原始的な「仏になる」ということの確信を突いた表現が多かったと思った。

グレタさんの件で環境問題、ローマ教皇来日で原爆、そのた原発にも触れられたが、論拠がないので個人の感想というレベル。それにしてもこれらのことは触れなければいけない内容なのかが自分は疑問。

 

11月27日(水)

「願生から欲生へ、そして欲生から願生へ」 本多弘之氏

これは難しかった。おそらく浄土三部経、教行信証およびそのた親鸞聖人の著書の関連性に精通された方だとこのお話の素晴らしさが理解できたであろう。そういう予測はつく。とてつもなく頭の良い方だ。自分の理解度でこのお話について語ることは出来ない。

最後、自分の片足を濁世に、もう一方を真宗の浄土においてどっしり足を置いて立ち上がる。信心を持つ生活の話は心に残った。

 

11月28日(木)

「親鸞聖人の立教開宗の意義ー吉水草庵の学び・越後生活の気づき

 ・関東の布教の後にー」  今井雅晴氏

 歴史学のお話。現代の課題に歴史研究が参考や導きのような役立ちがないといけないというご説明があった。全然未知の分野なので興味深くお話を聞いた。

親鸞聖人においては、後鳥羽上皇を批判したと言われているが、承久の乱ののちに後鳥羽上皇に助言すべき儒学者たちは何をしているのかということに対して言っているので、後鳥羽上皇ご自身を直接的に批判はしていないとのこと・・・。これは結論、親鸞聖人は体制批判を行わなかったし、いずれにせよトップ批判ではなくうまく機能しなかったことについて批判しただけという解釈でいいのだろうか?

教行信証が関東での成功体験(武士への布教)を踏まえて、布教の反応を見てまとめているだろうという推論は面白かった。

 

「信心と人権」 池田勇諦氏

 表題からどんな話になるのか想像がつかなかった。そもそも人間は煩悩による分別でしか生きられないので、いわゆる人権問題→差別問題は、社会的制度による着地点はあるかもしれないが、分別乗り越えるのってどうするのだろうと思っていた。

差別の因は是非善悪の価値付けをする自我の分別心であり、縁は社会的条件(部落・人権・性・障害者などに分岐する)。因に対して「私が差別者です」向き合うこと(聞法)で、聞こえてくるもので意識変革をしなければならない。なくならないけれども差別の縁を一人一人自覚して取り組む・・・。

政治運動、社会運動せよということではない。無知・無自覚・自分の無明の深さを自覚し、その痛みに立って現実の問題に向き合う・・・。ということなのだが、途中、「真宗とを出遇うことを人権の問題の検証の指針として、信心の有り様を確かめたい」、「娑婆の問題から目覚めさせられる、これは信心の生きた教材である」という言葉があり、他に聴講されていた人とも印象を確認した。信心をまず自分で確かめられるのかというところと、文脈上差別問題を始めとする社会問題を「教材」という扱いにしたところがむしろ社会問題の扱いを下げているように捉えてしまうのでどうも総合的に理解が出来なかった。よくわからないのだが、どうしても社会問題にむすびつけなければならないのだろうか?池田先生の書籍を拝読しているが、そういった感じがそこにはあまりないので自分は正直戸惑った。

今回の報恩講で池田師の本をいくつか購入したのでまたじっくり読みたいと思う。

 ■池田師の著書レビュー。とても感銘を受けた。

luhana-enigma.hatenablog.com

 

 以上、讃仰講演会の走り書きメモ。

来年は坂東曲も見に行くぞ!!