如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

念佛寺報恩講 唯信鈔より(土井紀明師)

id:hoboitoi(執筆者)

2019年12月22日(日)真宗大谷派念仏寺(兵庫県西宮市 JR甲子園口から徒歩4分)報恩講に参加しました。

 

午前10時より勤行、住職の土井紀明師のお話がありました。

唯信鈔の以下のお言葉について。

ふたつに念仏往生というは、名号をとなえて往生を願うなり。これはかの仏の本願に順ずるがゆえに、正定の号となづく。ひとえに弥陀の願力にひかるるがゆえに、他力の往生となづく。

 

また、これについておっしゃっている法然聖人のお言葉を通して解説を頂いた。

凡夫の心は物にしたがひてうつりやすし。たとふるに猿のごとし。

(略〕

かなしきかなかなしきかな、いかがせんいかがせん。ここにわがごときは、すでに戒定慧の三学の器ものにあらず。

〔略)

なげきなげき経蔵に入り、かなしみかなしみ聖教にむかひて、てづからみづからひらきて見しに、善道和尚の観経の疏にいはく〈一心専念弥陀名号 行住座臥不問時節久近 念念不捨者、是名清浄之業、順彼仏願故〉といふ文を見えて後

(略)

深くたましひにそみ、心にとどめたるなり。(法然聖人の言葉)

 

阿弥陀仏の救いは、念仏往生であって諸行往生ではありません。なぜなら、凡夫の心は猿のように飛び回るか、羊のように鈍感なものだからです。何かの戒律を守るような修行はとてもできません。

 

法然聖人も、そのような自分の相を見られて「かなしきかな」「いかがせん」と悩まれたところを、善導大師のお言葉を通して念仏の救いにあわれた。

 

ただ声に出して南無阿弥陀仏と申すのみで、私の心の有り様は関係ない。それも、念仏の救いは、未来でもなくただ今救うというもの。それを聞いたのが聞其名号という信心。

 

木村無相さんは

一声一声如来のお出まし 一声一声浄土真宗

と言われています。

 

ただ今のただこの一声一声が、阿弥陀如来が現に出て下さっている相であり、それをその通りと聞かせて頂くのが浄土真宗なのだと教えていただいた。念仏が大事であると有り難く聞かせていただきました。

 

※以上、寄稿者のhoboitoiさんからでした。

鹿野苑の土井紀明師のブックレビューを掲載しておきます。

 

luhana-enigma.hatenablog.com