報恩講で買った薄い本の紹介、第三弾。
『意識変革ー信心と生活ー』 池田勇諦師 真宗大谷派岡崎教区坊守会
2014年に二日にわたって講義され、その後の質疑応答までを収録してある。
池田先生はやっぱりすごく本質的なことに迫る素晴らしいことをおっしゃるなあ。ちらちら出てくる社会問題に関わるところの一点において疑問があるのだけれど、それ以外についてはこの本の表現で言うと、『膝を打つ』内容がたくさんなのだ。
以下、自分の気づきメモ。
・自我の立場(いいことを善と考える)を「切る」ことをして、その切らしめた智慧によって、仏道修行の真実の行として蘇る=「結ぶ」。で「切り結ぶ」
それが真実をもとめる行為へと一瞬一瞬転じていく。智慧・感覚が与えられていく。それを聞いていくのです。
生活を離れて仏法はない
仏法ってどれ程聞いたって、わかるもんじゃないんですよ。わかったって救われるもんじゃありませんからね。極端に言うかも知れませんけど、そう申し上げたい。こだわって申し上げたいですね。
・聞法は、「わかっている」ことが「わからなくなる」こと。私達がわかっていると思っていることがだんだんわからなくなってくる。
お寺の本堂というのは、迷っとらん人を迷わす場所だと、そうなんですよ。お寺は道場でしょう。迷ってない人を迷わす道場なのです。それを迷わない人間にと思っているから、全然お寺がお寺にならんのです。どうやったらわからせられるかとか、わかるとかじゃないんですよ。
ということで、「わからないようになったところで、初めて膝が打てる」。
・仏法を生活にというのは、生活において仏法を役立てようという発想ではなくて、仏法を「主」とした生活をすること。
無慚無愧のこの身、恥ずかしいという心もない身に暗澹たる心で沈むことなく本願を聞き続けていく。聞法によって自分が破られていくということ。これはやっぱり問いを持ち続けることだと感じた。
機会があったら、是非読んでいただきたい一冊。
◆池田先生の薄い本の紹介
◆親鸞聖人讃仰講演会2019
◆こちらもおすすめ!