如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

善の研究をじっくり読む

一番最初に読んだ親鸞聖人に関わる本は、西田幾多郎の『愚禿親鸞』だった。

100分de名著の方が話題になっていたが、そもそも読んだことがなかったので、まずはこちらを読んでみた。

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善の研究

善の研究

 

 

  難解だと聞いていたので、ゆっくり読むことにした。

 まずは著者の前書きから、第四編→第二編→第三編→第一編の順番で読むことにした。二度は読むつもりだったので、一番最後に書かれた肝であろう四編、著者自身が一編は後ででもと書いていたので、この順番にした。

 第四編は、宗教というテーマだった。少し読み進めて、ああ、これは一気に読まないとだめなやつだと実感。自分の読書スタイルが通勤時細切れタイプなので、止まらなくなる本にはまったく向いていない。止まらない。流れるように自分が言葉に出来ないことを組み立てて現われてくるもの。今まで自分がこうだろうかとぼんやりしていたこともすべて明瞭になるような感覚。鈴木大拙師の本でも感じた感覚。

 章の構成としては、冒頭に章の主要テーマともいうべき文が来る。その後、前章までで言及した内容と当章の主テーマとを混ぜてこれから展開する内容について触れていく。客観的に説明が出来るものは断定した書き方。反論が予想される説に関しての追加の例え、自分の考えの提示。そして断定。章の最後には章冒頭のテーマ文について、深く掘り下げるもしくは新しい気づき、目が覚まされるような展開を目にすることになる。

 ・・・ということで、やめられなくて次の章に進む。これを繰り返していく感じなのだ。

 第二編の実在、第三編の善、第一編の純粋経験と続いて読んだ。

 宗教というものを確認し、そして我々が証明しうる存在に関する認識を確認、そこから『善』という概念に関して、行為、倫理、意思、などから考えていく。

 自分は一番止まらなかったのは宗教の第四編だった。そして第一編の純粋経験にも非常に惹かれた。というのも自分がお聴聞でいつも感じる「つながる」感覚の説明にすごく近いものなのではないかと思ったからだ。説明で明確にされるものではないのだけれど。

 今、一回読み終わった後、第四編からまた章ごとに自分の理解を図解したり、今まで読んできた本や聞法で思ったことを書き込んだりしてノートを作っている。友だちと読後感想を意見交換したりするのにいいかと思っている。いちから自分でこんなことは書けないが、関連することを付け足していくのはとても楽しい。この本を読んでいると、別の著者の本や法話の中で出てきたことが結びついて、新しく感じることがたくさんある。最近は継続して仏教書を読んでいるのでこの現象が止めどなく出てくる。はっとすることが多くて止まらない。

 多分、一度目読んだときは西田氏の断定調に疑いなく首肯しているところに快感を感じているのだろうと思うので、じっくり読み直すことで、「本当は自分はどう思うか」ということに向き合うことにしている。

 難しいのかも知れないけれど、自分も問いをもって読むことでこの本の内容を少しずつ舐めて味わえているのかなと思っている。美味しい飴玉のように。

 

◆最初に読んだ、西田幾多郎氏の親鸞聖人に関する本

 

luhana-enigma.hatenablog.com

 ◆西田幾多郎氏の親友、鈴木大拙師の本。おすすめ。

 

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