如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

お寺に人が集まってくるということ

 

光に遇えば (響流ブックレット)

光に遇えば (響流ブックレット)

  • 作者:宮田 寶泉
  • 出版社/メーカー: 響流書房
  • 発売日: 2017/01/27
  • メディア: Kindle版
 

 

  先日の瓜生師の光慶寺正信偈講座に出てきた宮田寶泉(公子)師の本。実はこのブログを始める大分前、本当にお聴聞を始めた初期に宮田師のお話を聞いたことがある。当時は寺よりも入りやすいだろうと安易に思って、滋賀の駅前のホテルの朝食会場で行われている宮田師の法話会に参加した。当時は本願寺派も真宗大谷派の違いもよくわかっていなかったが、勤行でああ、自分の知っている方じゃないから本願寺派だなと思ったのを覚えている。そして初めて来た自分に冊子や前回までのCDなどを惜しげもなく分けていただいた。参加されている方はご年齢の高い方もいるが、現役世代の方も子供連れの主婦の方もいる。そして会場の席は満員だった。本当にやさしく対応していただいた。こんなに人が集まる法話。しかしながら、非常に失礼な言い方かもしれないが、宮田師にその人たちを率いるようなカリスマ性を見ることはなかった。あくまでもご同行と一緒に同じ高さから法話をされる姿があるだけだった。なんとも不思議な感じがした。

 そのときいただいた冊子がこの本の紙のものだった。お話を聞いて家に帰ってすぐに読んだ。なんともすごい経歴で僧侶になられたのだなと驚いた。そしてこの本に書かれていることから、宮田先生の生き方に惹かれて人が集まってきて、様々な活動がされているということがお寺の歴史とともにわかってきた。前半は宮田師の半生、後半はお寺での活動に関わる人々の筆によるものや、活動の記録だ。正直本としては体裁がむちゃくちゃではある(読まれたらご同意いただけるだろう)。ひょっとしたら真宗の教義の面で引っかかる人がいるかもしれない。しかしそういったことを超えたもの、宮田師をはじめこのお寺に集う方々が突き動かされている力を見るだろう。法話会で空気感を知っている自分はその奥底に流れる「宗教」という存在の大きさを強く感じずにはいられない。

 宮田師の半生を読んで、自分の中に浮かんできたのはなぜか「周利槃特」。釈尊に掃除をするようにいわれて悟りを開いた弟子のこと。宮田師の生き方に、生きづらさとその中にある純粋さ、愚直さ、仏法に向かう姿勢の真摯さ、そのなかには必死という言葉にしてもいいくらいの生々しさがある。これが生きざまというものかと思った。この際、それは聖道門じゃないかとかいう無粋なことはいわないでいただきたい。そしてそれに惹かれてくる人達がいるということだ。生き生きとして今存在していらっしゃるということだ。

 門徒の方の言葉に「最近寺に人が来ないといわれるが、わたしたちの活動が参考になるのではないか」というものがあった。たしかに。愚直にご法話一本で、人が来ない日も法座を開かれてそれに集まってきた人がいるのだ。数年続けられてきてのこの世界なのだ。これは頭が下がる以外なんとも表現ができない。こんな世界、あるんだ。

 この本の薦め方というのがすごく難しい。自分としては、この本だけ読んでもなんじゃこりゃになる人が多いような気がしている。だから、読まれる方には毎月滋賀の能登川駅側で開催されている宮田公子師の法話会に一度行っていただければと思う。「宗教」という力を体感できるだろう。

 瓜生師が光慶寺正信偈講座で話された宮田師の存在については、この本のあとがきがすべてを物語っていると思う。

 

◆光慶寺正信偈講座(五)

luhana-enigma.hatenablog.com