如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

”今ここ”はなくならないカイロスの時間(宮岳文隆師)

 東本願寺のHPの表記を見ていたらしんらん交流館定例法話は2/28今日から中止のように読み取れたが、前を通ったら看板が出ていた。あれ?と思って聞いてみたら今日まである!ということで宮岳先生のお話を再度お聞きできた。

2020年2月28日 14:30~16:30 「法蔵魂の目覚め」宮岳文隆師

しんらん交流館定例法話 

http://shinshuhouwa.info/article/index.php?id=49248

 本日の御文の解説から始まる。そしてテーマについて。七高僧の伝統として、行き詰まりや挫折から「痛切に感じたことしか伝えられない」というハードルを越えられてきたという事があるというお話し。観経から、韋提希に従兄弟提婆達多について責められる釈尊の聖者の宿業。釈尊の沈黙。一つ一つのいただきを確かめるようにお話しをいただく。

  途中で観経について、御同朋が質問をされた。「お釈迦様は提婆達多の本性を知っていたのか。自分はいつもそこがわからない」この声を聞かれて、得心いかれるまで丁寧にお答えされていた。「汝痴人 つばきを喰うものや」

 今回いただいた資料には、宮岳先生が生活の中で発見された言葉をたくさんご紹介いただいた。『帖外和讃』より「超世の悲願 聞きしより・・・」

 ここで出てきた、クロノス(相対的時間)に対してのカイロス(絶対的時間)。私たちが”今ここ”で聞いていることは”死なない”ということ。現在・過去・未来でない”今ここ”。この”今ここ”はなくなる今ではない。この身が死んでも。

 

 ご法話の後、宮岳先生と御同朋2人と自分の4人でお茶をご一緒させてもらった。初めましての間柄かつ年齢もバラバラであるが、今日のお話から連なることでいろんなことを語り合うことができた。言語化できない何か。宮岳先生はとても静かにお話しをされる。淡々とご自分がお気づきになった、でもこれに気がついたんだよと言うことを、静かにお話しされる。「なにげなくカレンダーを見て、うちの二匹の猫をみたら、同じものは一つもないというのがね。入ってくるんですよね」これを文章にしてここに書いてしまうと、「そうなんですね」で終わってしまうのだと思うのだけれど、ご法話の内容の後に聞く宮岳先生の言葉、宮岳先生のストーリーを通して、それ以外のものを自分が感じ取ることがあるということ。”今ここ”。

 そういうなにかを共有できたあっという間のすばらしい時間だった。ああ、孤独なお聴聞も嫌いじゃないけど、こういう風に後で語らえるのはやっぱりいいなあ・・・。

 

 ちなみにしんらん交流館の定例法話始め、ほとんどの法話は明日から4月4日まで中止となっている。残念だ。でもこれは乗り越えるしかない。

 

◆宮岳先生のご法話
luhana-enigma.hatenablog.com