如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

罪が見えるということは反省の立場ではない

 引き続き仲野師の本。安田理深の命日につとめられた伏見専念寺での唯識の会報恩講(1984~87年)より。

存在と状況 (響流選書)

存在と状況 (響流選書)

  • 作者:仲野 良俊
  • 発売日: 2016/08/17
  • メディア: Kindle版
 

 前半部分では、

何を言ったかではなく、何を言わんとしたかです。

言葉ではなしに、その言葉の背後にある叫びを聞いておられる、それが 親鸞の態度です。

と「読む」ということに対する姿勢についての言及がある。ここは他の先生もおっしゃることがあるが、小気味いい感じで断定されている。

 そして「般若」が真宗に取り入られなかったことに関しての考察が面白い。「このままでいい」と自分をゆるす、恐ろしいものが副産物として出てくることを警戒されたと。自分が聞いた法話にも「そのままの自分でいい」という表現を聞くことがある。これを避けようとなされたのだろうな。 

  後半。表題がやはりこの本の中で読まなければいけないところだと思う。人間は自分がわからないという本質に言及されている。人間存在について話されている内容。

 唯識の会の報恩講ということで、自己とはなんぞやという根本命題を突き詰めていく内容。阿頼耶識を「いのち」といい、自己は「いのち」と定義付ける。

 「いのち」は物的なものでなく、心的なものであるが故に、聞法でしか養うことができないということ、人間関係を業でみること。唯識の知識がなくても真宗はいいのではと大分前に思っていたが、確かに理解に深みが出るなと感じた。

 天親菩薩の『浄土論』と曇鸞大師の『浄土論註』を重要視されているというのは、昨日聞いた瓜生師の和讃のお話しにも出てきた。

 

◆『親鸞聖人和讃をあじわう』 瓜生崇師

luhana-enigma.hatenablog.com

  

 この前に読んだ『存在と歓喜』も素晴らしかった。この本はテーマが違うが、同じく一段落読むごとにもう一度読んでみることをしたくなる本だった。

 ちょっと前の本って、いいな。

 

◆『存在と歓喜』のレビュー

luhana-enigma.hatenablog.com