如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

浄土真宗Liveを見てみた

いろいろ忙しいくて一日目はまだアーカイブ完全に見ていない。

ちゃんと見られた二日目だけ感想を。

2020年3月21日(土)、22日(日) 19:30-22:00

facebook 浄土真宗 Live
YouTube https://youtu.be/aTcYbzlTf7U

真宗大谷派の僧侶有志によるYouTube配信。

COVID-19のため、各地の法座がなくなる中、こういった試みはすごくうれしい。

 

『彼岸と此岸 浄土と穢土』中根信雄師

六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)について日常にある例を用いてのお話しはとても入って行きやすかった。というのも、「子供の話ばかりですみません」とおっしゃっていたが、結局それぞれの経験をして大人になった我々聞く側は、真っ白な心だった子供の頃の感覚が一番共通した受け取りができるところなのだろう。

仏と出遇うと言うことは、教えられ、気づかされるということ。

自分の思い通りにしたいという気持ち、この私というものが穢土を穢土たらしめているということを知らしめてくれるというのが浄土のはたらきである。

ふわふわしてるうちに終わってしまったとおっしゃっていましたが、お話しを通して、中根さんの気づきを知り、自分も気がつくことをたくさんお聞かせいただきました。

 

『私の本当の願いとはなにか』瓜生崇師

宗教って、「自分の願いを神様に言う」ものだと思われているが、浄土真宗は違う。「仏さまの願いを聞くことだ」

阿弥陀仏の願いは、「私の名を呼んでくれ=私の名前を称えよ」これ一つ。

瓜生師の死を恐れてきたエピソード。「私が死ぬ日が百年カレンダーに必ずある。」「一日生きるということは、一日死ぬということ」「普通に生きて死ぬことのむずかしさ」「本当に信じようとしたら信じられないわたしの心」「独りぼっちになりたくないわたし」

独りぼっちになりたくない私は誰かに必要とされたい。法蔵菩薩はわたしの願いをきいた。それならわたしの名前を呼んでくれ。お前がわたしの名前を呼ぶまで仏にはならない。わたしの願いと法蔵の願いがひとつになった南無阿弥陀仏。

一番最初に、このお話のすべてを話して、そこからここまでは理屈だと。阿弥陀仏の願いに出遇った南無阿弥陀仏。シンプルだけど、ここにたどり着くのって頭の理解じゃないんだろうな。

浄土真宗の南無阿弥陀仏が本当に1時間ちょっとで話されていた(時間延長は想定の範囲内)。しかも前の中根師のお話しがあったのでさらなる深いところを聞けた気がする。連続法話、すごいなあ。

 

【YouTube LIVEの感想】

やっぱりLIVEはいいな。目の前でお聞かせいただくのが一番だと思っているだが、これはこれでよかった。FBもYouTubeもチャットがあって、ああ、ほかの人見てるんだなというのがわかった。

スタジオもいいところなのか、ほんとにちゃんとした感がある画だった。後ろの阿弥陀さまもいい!

ちなみにまったく仏教と縁のない一般人の友人が聞いていた。感想として、話が面白かった(特に瓜生師)と、浄土真宗の法話って、こんなに長いのか!!があった。みんな葬式・法事の時の法話しか知らないからだ。法話を聞くって本来はこんな感じだというのをわかってもらえるいい機会だった。あ、坐禅しながらは聞かないとも答えておいた。

法座がない今、こういう試みはとてもありがたい!

そして危惧したのが、アーカイブがありますというと当日見ない人がいるだろうなということ。明日死ぬかも知れないんだぞ。今見ないと。ここの運用って難しいだろうな。本当に見たい人もいるだろうし。

ここで興味を持って、法話を聞く人が増えたらいいなと思う。

それにしても、無料でこのような企画をしていただいたみなさんに頭が下がります。

ありがとうございました。