如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

教行信証を3つの流れで読む

藤場師の法藏館での著書が出ていたので読んでみた。

 『教行信証 大河流覧』 藤場俊基 法藏館

教行信証 大河流覧

教行信証 大河流覧

  • 作者:藤場 俊基
  • 発売日: 2020/01/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 一言で言うと、難解だった。

自分が『教行信証』をどう学んだかというと、3回ほどの講座参加、石田慶和師の教行信証の本を読んだのと金子大榮師の岩波文庫を資料で引くぐらいだ。後は法話の中。

その程度の学びの自分にとっては難解だった。

この本の眼目としては

・記述形式の着目(意味の切れ目、引文の配列)

・3つの流れ(本願力回向の呼応、本願力回向の成就の相、唯除と仏智疑惑)で読む

ということだと思う。

いずれも検証に首肯するには自分の知識不足なのだが、3つの流れに関しては、巻末資料を参照しつつ読んだ。それでもやはり難解だった。

自分は藤場師の本がとても好きで、電子書籍になっているものは多分全部購入して読んでいる。その本を読んだ後にこの本だとちょっと学術的すぎるのかもしれない。

始めの部分、「問いが大事だと思う」ということを口にする人は多いが、じゃあそれがなんなのかを説明できていない。問いを持ったらその人が考えるしかない。ここは自分も仏教書に当たる上で肝に銘じようと思った。

流れの中での一つ一つの解釈については、藤場師らしいお話がたくさんあったのでそこはお聞かせいただくところであったと思う。世俗的欲求に宗教を根拠とする無意味さ、「称名念仏の勧めは声を出せない人を排除するか」のところはよかった。

気になったのは、回向に関する説明で、名号を浄土の招待状とし、

この招待状が真実と私たちとを結ぶ架け橋になることを信頼することです

とあったところ。自分としては名号が”架け橋”という表現であっているのかなあと思うし、信頼という言葉は大辞林によると「ある人や物を高く評価して、すべて任せられるという気持ちをいだくこと」とあり、自身が評価する=分別によるものになってしまうのではないか。途中こういった表記のところで気になるものがいくつかあった。

難解なのはやはり学術的に書かれているからかもしれない。三願転入のところも2回読んだ。若干もうすこしシンプルに説明できるのではないかと感じる。

3つの流れの読み方を強調するためであると思うが、「こういう読み方に気がついた」というところがあり、それが本当に新しい着眼点なのかは自分は判断がつかないが、これが多いゆえに自分は読みにくくかったとは思う。

正直新規性がわからなかった。できれば従来の”読み方”の典拠がほしかった(こう読まれているがというものではなくて)。比較しながら読めたら学びが深まったのだがと感じた。

藤場師の法話系のお話を期待して読まれるのであれば、解釈部分はその期待に応えるものであると思うが、全体的には学術的に教行信証の”新しい”読み方について知るという目的を持った方が読書対象という本だと思う。

 

◆藤場師の本の過去のレビュー

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