二河白道 その二 瓜生崇師
2020年5月24日(日) 19:30~21:00
http://m.shinshuhouwa.info/article/index.php?id=50529
ここからライブ配信の動画見られます。
お話の内容は、動画を見てもらった方がいいと思う。
今回は、西へ向かう行者である「わたし」というものについて。
そして「二河白道」とは何か。
現在自分は絶不調なのである。なんだかわからないけど絶不調なのである。
即断即決型の自分がいろいろ決められない。そしてそれとは関係なく、友人関係や交友関係、過去の出来事をひっくり返すことなど。。。こういう時ってあるんだな。
ひとつ、友人関係において。
いい歳にも関わらず、友達と仲違いというか行き違いがあり、断絶の危機に遭った。
うーん。なんでこうなるんだ。でもな。いい歳してこんなことで絶交とかになるんかなとかいろいろ考える。でも仕方ない。クリティカルではないが、自分の心に影を落としていることだった。
今回のお話で、自分が「無明のわたし」にくっつけているもの。「友達」。瓜生師は言った。「いい歳して友達と仲違いすると、もう口もきけなくなったりする」と。
うわあ。ずばりいまそれ。でも自分は友達をくっつけてるわけじゃない。ステータスのために。でも「わたし」を形成してくれている他者である。
なんだか今回のお話は、いまの「絶不調」の自分にガツンとくる内容なのであった。そしてそこに見える白道。
ちなみに、件の友達からは法話の開始直前にメッセージが来ていた。「大人げなかった」と。でもそれは自分もきっとそうなのだ。なにかお互いの「対話」が行き違うきっかけを作ったのは自分かもしれない。瓜生師と違い辛うじて自分は友を失わずに済んだようだ。
その状況を共にしているもう一人の友人もこの法話をお聴聞していた。
終わった後、「今の自分の状況にリンクして聞いたね」と感想。そうだ。友達のことだけじゃなくてたくさんそうだ。今の生活をいきる存在としての自分と仏法の中の衆生。これが交錯する瞬間。気がつく瞬間。それを聞かせられる。
人は自分の聞きたいように聞きがちで、そして耳に入って聞こえてくることは、そのときの自分に依るところも大きいと感じる。次に聞いたらまた違って聞こえるのだろう。今回はいろんな自分の一面にハッとさせられた。
その二になってるのは、今回で終わらなかったから。
次回の白道の話を心待ちにしている。
◆前回分(下記記事にその他二河白道の話があります)