『歎異抄講話(上)』 (御堂電子叢書) 寺田正勝著 響流書房
御堂電子叢書って書いてあるのは、南御堂(真宗大谷派)がメインで作成されているということか。
この本においては、前序から第十章までを上巻として掲載している。ちなみに『歎異抄』自体には数字の連番のようなものはついていなくて、後の人々が便宜的に呼んでいる。条とか章いうけれども明確な違いや理由はないようだ。
各章の重要な部分を文の流れに沿って解説している。そしてそこにはおそらく全体的な『正解』とされる教団共通理解の話に加えて、著者の読み方というものが付け加えられていると思う。とても読み手に親切な構成になっている。
ここしばらく、『浄土真宗の法話配信』の歎異抄の法話をずっと聞いている。その中でこの本を読んでみたのだが、『歎異抄』という書物が信仰を持つ人によっていかに多様な解釈をされるものなのかということを感じた。
以前読んだ歎異抄は、原文、口語、意訳の三つがあり、意訳には多少著者の色が出ていたが。原文と口語を読むことで、自分が読むと言うことができた。
YouTubeでも本でも、己のこととなって読んだときの解釈がそれぞれにあるなあというもの。いろいろな時代背景もすべて網羅しての読み方と、何も知らなくて自分が見たその文字と自分の中にあるものから読み出すものと、違ってるけどどれが正しくて悪いというものでもないと思う。そういう風に読めるものなのだと感じた。『歎異抄』自体は聖教の扱いではないけれど、広く求道の人の心を惹きつけるものがある書物だと思う。
歎異抄を一通り丁寧に読んでみる際には一度手に取ってもいい本かもしれない。下巻は出るのだろうか。