2020年10月24日(土) 19:30-21:00
寺澤真琴師 (本願寺派 清徳寺住職)
真宗ねこねこ法話会
『歎異抄』を読むー第九条 その二ー
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「親鸞聖人の教えほど難解なものはない。お浄土の教えは特に。論理や感性での理解を拒絶するものがある。」
いろいろ本を読んだりお聴聞をするにつれ、これにはまっていく自分がいる。いろんなことを考えてしまうけれども、結局考えているのが「自分」。
阿弥陀さま=お浄土=南無阿弥陀仏
これを命を懸けて伝え続けてきた人々がいていまここに届いて聞いている私。それに感動している唯円が、踊躍歓喜できないことを疑問に思い、それを親鸞聖人に覚悟を持って問う。そういう人間らしい心の機微を想像させるお話だ。
唯円の質問に対して、「煩悩のせいだ」という回答を先に出すのでなく、親鸞聖人がおっしゃりたかったところを先におっしゃったというところが、目の前で会話をされているようなリアルさを持って感じさせられた。寺澤師のおっしゃるとおり、わからないなりにも原典を読むと言うことが重要だなと知らされる。
「名利を棄てたわたしという名利に酔っているわたしが常について回る。ここにわたしたちが救われていくと言うことに対する難しさが表れている。」
最後5分の踏み込んだところは必聴。
「喚ばれ続けているところを生きていくしかない。常に上書き。常にリニューアル。」
自分が聞き続けていくということと寺澤師の言葉が響き合う様に思う。
◆寺澤師の歎異抄シリーズ