如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

聞く人たちが作る空間

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  今日、もう一回録音を聞いた。

 やっぱり書きたくなったので書く。

  芦屋仏教会館にて。西洋風の教会のような佇まい。大きな窓からは、光がたくさん差し込んで、でも換気で入ってくる空気は鋭く冷たかった。

 座席は間引かれて、いらしているのは式章をした顔なじみのみなさんのようだった。声を掛け合い、歓談されていた。1Fはほぼ満席。

 高さ1m弱の演壇で講師がお話をする。座らないで立っていお話をしますということで、上背のある瓜生師をみんな見上げる。

 

 「尊者阿難座よりたち」。無量寿経からのテーマ。 

 これまで聞いたのと雰囲気の違うお話をされた。どれだけ真剣に人を救おうと思ってかつて所属していた教団でお話をしていたか。そして宗教から二度離れようと思ったこと。二度目はもう絶対宗教とは関わりたくないと思ったこと。どれだけ離れようと思ったか。かつての自分の行為に絶望し、救われない自分がなおさら見えてくること。表現については、自分がここで活字にすることが一人歩きするのが憚れるのでそのままは書かない。そういう強い表現だと想像して欲しい。

 ある人に「世界のすべてがゆめまぼろしだったとしても、南無阿弥陀仏だけは本当です」と言われた。「あなたがそう思っているだけでしょう」と反論できるけど、なぜかしてはいけない気がしてしなかった。その言葉は心の底にしみこんでいった。

 そしてその教団を辞めた人たちに、「本当の親鸞聖人の教えってなんですか」と話を聞かせてくれと、やめさせてもらえなかった。いったん教えを投げ出した人間がお話をしてはいけないと思った。でも、聞きたいと言われた。

 求める激しさと、苦しさを吐露するようなお話だった。そして、「話すことをやめさせてもらえなかった」という言葉は他の誰にもわからないことかもしれない。そう思っているのは当人にしかわからない。字面にしたら自分で思っているだけだろう、そうしか読めないかもしれない。でもそうではなく、主語となるあるはたらきが今ここにあることを自分は感じた。きっと隣の人もそう思っている。それも自分の受け取りでしかないが。でもきっとそうだ。

 

 見えない底から叫ぶような独白だった。

 聞いてる側の自分。聞いてる側の空気。お話の渦に巻き込まれるようだった。受け念仏なんかない。静かに前へ前へ、聞く側の勢いが演壇に向かう。

 

 休憩時間、頷きながら聞いていた老齢の方が、御同行のところに言って話されているのが聞こえた。「わしもな、若い頃あそこの教団、聞きに行ってたんや。確かなものが聞きたかったんや。」食い入るように瓜生師を見ながら聞かれていた方だった。

 

 梵天が釈尊をに仏法を話してくれと請い、法を説く釈尊をみて阿難は座より立ち、仏仏相念に気がつく。迷ったものが、迷ったままで目覚めていく世界。話すものに、話してくれよと。言葉にしたら嘘になる真如の世界。でもその言葉にするあゆみをやめなかった2500年の歴史。

 瓜生師に話すことをやめさせないそのはたらき。誰も証することが出来ないことだけれども。

 無量寿経のお話を聞きながら。

 梵天や、阿難の話を聞きながら。

 瓜生師の独白を聞きながら。

 「どた牛のようなわたし」を抱えながら。

 聞く側にいる人間が、「もっと話してくれ」と残酷なまでに、でも温かく。

 自分はここの聞く側に座っている人を誰も知らない。誰とも通じ合ってない。

 でも今「もっとこの話をしてくれ」とひとつになっていまこの空間を包んでいるような。ひとつ。時剋の極促。

 この空間を作っているのは、ここでずっとお聴聞されているみなさんなのだなと思う。

 

 人は、どこかで自分が素晴らしいと思ったことを誰かに伝えたい。わかり合いたいということが一番底にある。だから自分も無駄かもしれないが、わかり合いたいと思ってこのことを書くのだ。

  

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