如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

お聴聞にいくこと

 2020年最後の投稿。

 実は法話の感想をため込んでいて、年末一気に上げようと思っていたけどまあいいやと思って来年に回す。

 

 先日、在宅勤務をしていたときに、近所のお聴聞友達からメッセージが来た。「今日の夜の法座、行かれますか?」と。「はい!行きます!」

 実はそこはかなり遠くていつも別の友人と待ち合わせて行っていたのだが、その友人がどうしてもいけなくて、自分は電車とタクシーで行こうと思っていた。

 

 お誘いいただいたので車で一緒に行く。

 

 その日の法話で、「この法話に来るかどうか、来るのが自分にとっていいことなのか、どうなのか、そういう風に迷ってここにいらしたんでしょう?」という内容があり、帰り道、友達が言った。

「あれは本当に、自分の事を言い当てられていたんですよ。どうしようかなあ、遠いしなあって。で、鹿さんのことを思い出して、誘ってみたんです。きっと鹿さんがいかないっていってたらいかなかったです。今日はいって聞いて良かった。鹿さん、ありがとうございます」

 すごくいいお話だった。行って良かった。一緒に聞けて良かった。

 

 自分は体調は忙しさで気が乗らなかったら行かない。でも葛藤があったら行く。足が向いたら足が向いたなりのことがあるなあといつも思う。お聴聞友だちと言っても、変に誘わない。お互いここは絶対行くなあっていうのがわかる。その範囲内で声を掛けてくれる。なんだろうこの心地いい距離感。そんな人が他にもいる。

 

 お聴聞に行ってると、「熱心ですね」「すごいですね」「えらいですね」って言われるのが苦痛だよねという話になる。本当にそうなんだ。ほっておいてほしい。行きたいから行ってるだけなんだ。行った回数、聞いた講師を誇ってるわけじゃないんだ。そういうのがめんどくさいなって話した。

 こういうことを話せる相手がこの一年で出来たことがとてもうれしい。

 

 2021年も赴くままにお聴聞をして、本を読んでってするだけだろうな。