如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

即興(カード)法話をみた

 かなしくなった話をする。

 先週、SNSを見ていたら思わずしてYouTubeライブのリンクをクリック。法話をしていた。「え????」という内容だった。法話の内容に文句を言ってはいけないのはわかっているが、それにしても「え????」というものだった。あくまで自分にとって。

 昨日の夜、やっぱり気になって全部見ることにした。前後関係がわからないで勘違いをしてはいけないので、最初から見た。

 元々はそういう企画ではなかったようだが即興法話を5人の僧侶でしていた。YouTubeのリスナーがチャットでお題を出して、それを入れた法話をするということらしい。カード法話とも。

 即興法話の部分は全部見た(その後は見てない)。聞いたのではなく、見た、だな。

 お題の中身は、電撃結婚、子供、ナン、ハヤシライス、京都タワー大浴場、古畑任三郎、マイクロソフト、網タイツ、ヤンバルクイナ、ゴルゴ13、ノストラダムス、ウクレレ、ドラえもん、うめぼし、大漁旗、柴犬、ライオンキングなど。 

 

 かなしくなった。涙が出た。

 お話が「うまいこと言って」、ちゃんと仏教の話が入っていたら、すごいといわれる。中身がいいからいいじゃないか!とかそういうことじゃない。

 聞いてかなしくなった。

 お題を字幕で見ながら、お話にそれが入ってるかどうか、仏教の話になってるかどうか、気にしながら聞くのだ。法話ってそうやって聞くものじゃないだろう。そういう風に聞くことって自分には必要なのだろうか。

 落語の三題噺じゃないか。 

「なるべく離れた単語だと面白い」

 それは話す人が、頭悩ませてる姿見ているのを面白がるためなのか?入れられる単語の数が多いからなんなのだろう。

 

 

 後半で、浄土真宗本願寺派の伝道院という布教使を教育するところで使われている手法だと言われていた。訓練のためのものだと。課題となる単語を入れて法話をすることにどんな意味があるのかまったくわからない。全然しらなかったが、最近やる人が増えいるとか。

 単語入れる頭の回転速さより、これがいいたいでも言葉に出来ないもどかしいさがあってもいいじゃないか。それも自分は聞かせてもらっていることだと思う。

 きれいにまとめるからなんなのだろう。

 うまいこといわなくていいですよ…。

 

 やっていた方々は楽しそうだったし、リスナーの方も楽しんでいたようだし、「こういうのもいいじゃないか」といわれるかもしれないが、自分はただ、お聴聞をする人間として、すごくかなしかったということをいいたい。他人はしらん。自分がかなしいから書いただけだ。

 楽しいという人がいるのと同じように、かなしいという人がいるということだ。

 

※なお、参加されていた僧侶の方々が普段されているご活動に関して否定的なことを言いたいわけではまったくない(そしてほぼしらない)。あくまでこの即興法話というスタイルに対しての意見である。