如是我我聞

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『はじめての哲学的思考』 宗教と哲学の境界線にざわざわする

『はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)』 苫野一徳

 

 これは表現が難しい。この本を手に取った人が、「哲学」もしくは「宗教」 のどっちにいるのか明確な人はその視点から面白く読めるかもしれない。「宗教」の側だとまったく面白くない可能性もある。

 「哲学」アプローチだと、とても簡潔にまとめられていて、著者の学びからの大胆なダイジェストを提示されているかのような爽快感ある読み応え。ズバっ!!!!って感じ。

 自分の「宗教」よりだけど「哲学」も好きスタンスだと、自分では気にしたこともなかった「哲学」と「宗教」の境界線があるかのようでざわざわする。ああ、だから自分は「宗教」の方なんだと思うところが出てくるのだ。

 ざわつく理由は、なんとなく「宗教」を選んだ自分は「哲学」できないから「宗教」に行ったのではないかという思いがわき上がるためだ。「哲学」により適切な問いを持って、妥協ではなく相互理解の上に新たな発展的な選択をしていくということが出来ない。自分で出来ないから、阿弥陀如来にたのむしかない世界にいるのかもしれない。ざわざわする。

 会社員をやっていて、つくづくこういうことを考えて生きにくくなってる自分はなんなんだろうと思う。この本を手に取ってすごいと思う人たちはきっと現実社会の中での適応力がたかいんだろうな。自分もこの本は面白いしとてもいいと思う。でも、「宗教」の側に立ってしまった人間が読んだ時に、なんとも言えない気持ちになるのも確かだ。これは著者の方や内容を悪くいうのではない。なんというか、「宗教」とはそういうものなのだという自覚かなあ。

 自分の傾向として「帰謬法」に立っている。「それは絶対に正しいの?」と発信するのだ。でもそれは論破するためじゃなくて、そこにしか立てないから。だから自分は「宗教」なのかもしれない。

 哲学が好きな人はもちろん、「宗教」の側にいる人もこれを読んでみて、自分が持つ「問い」ということに関して深く見て行くのもいいかもしれない。何度も言いますが、すごくいい本。