如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

『み仏の影さまざまに』 西元宗助

『み仏の影 さまざまに』 西元宗助 樹心社

この法話に出てきたお話の元になった内容が載っている本。

『信心を獲た人に導かれないと、信心はいただけないのか』 瓜生崇師


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この動画の中で、足利浄円師のお話が紹介されている。法話のお聴聞をされた方に、「先生にはまことの信仰がないのではないですか?」と称名念仏して詰め寄られる。

先生は、「なんにもございません」と答えられるというお話。何回か読んで、そうかあああああああってなる。

なんともこれは是非読んで欲しい。というものの、この本は既に絶版なので古書流通のみ。動画でご確認をお勧めする。

 

それだけではなくこの本はすごく不思議な本だった。西元師は浄土真宗本願寺派に縁の深い方だが京都大学文学部哲学科(教育学)卒の学者さん。そしてシベリア抑留を経験される。真宗大谷派の暁烏敏師、金子大榮師とも交流されている。仏縁あればそういうことは関係がないのだろう。

 

西元師の目を通して出会った方との生き生きとした関係性が浮き上がってくる。

とりわけ自分は金子師とのエピソードがよかった。自分にとって、超難しい教行新証の人というイメージがあったのだけれど、とても繊細で優しい方だったようだ。こうやって人の視点から見ると違って感じるものだな。断然金子大榮師の本が気になってきた。

 

ともすればちょっと前の時代の真宗界の錚々たるメンバーの本になるのかもしれないが、わからないなりに当時の人の仏法との向き合い方の素直さというのを感じずにはいられない。やっぱりこれは宗教だよ。いまの真宗から抜けちゃった気がする。

そして付録となっている日記のところもよかった。奥様とのやりとり、内なる自分の思いの告白など西元師の南無阿弥陀仏の生活を見せていただける。いいなあ、自分にはちょっと難しいかな。そう思っているだけかもしれないけど。

最近、『仏敵』というかなり濃い信心を獲得する人たちの本を読んだ。これもまた趣が違うけれども、そういったものを感じる。時代ってあるね。

ということで、しばらくちょっと昔の本で積本と積dleをなんとかしていこうと思う。