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『深い河』/遠藤周作 それぞれの宗教との向き合い

『深い河』遠藤周作 講談社文庫

 人はどうして現実を超えたものを求めるのだろうか。理解を超えたものを知りたいと思うのだろうか。あるのかないのかもわからないものを確かめたくなるのだろうか。どうしても白黒をつけたい。それは自分も同じなのだ。

 メインとなる登場人物はそれぞれが悲しみを抱えてインド旅行に参加する。悲しみや苦しみを比較することは出来ない。それぞれなのだ。自分は美津子だと感じた。神から大津を奪ってみせるという考えをもった美津子なんだ。蔑みながら大津を追い続ける美津子。確かめずにはいられない。ひとりひとりのエピソードが、書かれている言葉以上のものを深く感じさせるのだけど、自分は断然美津子が気になったのだ。

 ガンジス河がすべてを包み込む。生老病死を。ここにたどりついて死にたいという人々。屍体が浮き、灰が流され、その横で生活が営まれる。この河の存在を見ることで、仏教の生きたルーツ、人間の伝えようとした大事なことを感じられる様な気がした。

 著者はキリスト教徒。自分は真宗。宗教という観点からは同じく見ることが出来る。登場人物の大津はキリスト教徒で神父になるためフランスに留学までしながら、日本的汎神論を棄てることができずにキリスト教の世界を出て、インドへと。ガンジス河にたどり着く前に力尽きたアウトカーストの人々をその場へ連れて行き火葬する。

 自分は宗教は最後たどり着くところは同じだとは「いえ」ない。それは検証することはできないから。ただひとつ思うのは、人間が「求める」ことは同じかもしれない。登場人物はそれぞれがちがうものを求めている。だけれども、それは自分が納得したいなにかなのだ。そうだとうなずけるもの。そしてそれはニセモノではない。本物でないといけないのだ。うなずけるほんものがほしい。

 本人が意識するしないにかかわらず、自分を超えるものを求める瞬間を見せられる。自分の心も痛むし、揺さぶられるし、緊張の中でどういうことか自分のなかで答えがでないままストーリーが進み、そして小説は終わる。ただ読んでいる自分の前で消えた感じがする。その続きは紙の上じゃないところでまだ続いている。自分の中で続いている。

 

◆遠藤周作の本のレビュー

 

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