如是我我聞

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『マトリックス レザレクションズ』 リアルタイムで見た世代はグッとくる

 『マトリックス レザレクションズ』を見てきた。元旦から何をやっているんだ…。

 積本減らすとか昨日言っていたのに…。

※微妙にネタバレあります※

 

 1999年の『マトリックス』に始まる3部作をリアルタイムで見た世代としては、グッとくるものがあった。

 今回、キャラクターがちゃんと歳を取っているのだ。そして「かつての『マトリックス』はゲームの世界の出来事だった」ということで、かつての近未来をリアルの今に修正してきている。

 ネオもトリニティも齢を20年ほど重ねた状態で、現実でない作られた夢の世界にいるのだ。キアヌは57歳、キャリーは54歳。それで時と時空(でいいのかな?)を超えた壮大な愛の物語の続きを演じている奇跡。

 これね、なんでこの仏教・哲学のブログに書くのかというと、自分としては、生老病死の「老」に結果フォーカスした稀なる映画ではないかと思ったのだ。

 ネオはかつての現実を「自分の作ったゲームの中のことだ」と思っている世界にいる。かつての現実は過去となってあいまいになるのか…みたいなセリフを新モーフィアスに言われる。いやあ、今の年代になるとわかるなあ。

 新モーフィアス(若い)や敵(あまりいわんでおこう)との肉体のぶつかり合いでの戦いでは、他の登場人物のセリフからネオの「老い」を感じる。そして若者たちへの世代交代の予感もある。より老齢のナイオビの存在もまたそうなのだ。そして登場人物に若者も多いのだけれど、高齢の方も活躍している感じで存在している世界(研究者さん)。これは若者が主人公だったSTAR WARSとは違う視点だよな。そして監督のウォシャウスキー姉妹も年齢を重ねているわけだ。どこかを若作りしたり、懐古的に若さを振り返ったりすることなく、若者に年長者や尊敬されるものとして先を行くもののような上から目線もなく、自然体の老いたリアルな今、自分は老いてるって思ってないけど結果老いてたわみたいな感じなのだ。これは旧作をリアルタイムに見た世代なら感じてくれるのではないかな…。ひょっとしたらこの世代限定の視点かもしれない…。

 

 次は、機械との共存。かつての『マトリックス』は、人間か機械かの選択がテーマだった。今回は、機械とも共存しているのだ。その中でも現代においては、夢の世界の方で、「頭にゴミが入れられている」(確かこんな表現)と表現されていたが、これはいまの情報社会において、マスコミやネット上の情報がもう人に流れ込むように押し寄せている状況をいっているのだと思う。

 ネット検索した結果が「興味のある」テーマとして、広告に上がってくる。よくみるYouTubeのお薦め動画は似たようなものがどんどん上がってくる。自らの傾向に拍車をかけて、「本当にそれでいいのか?」と立ち止まることがないのが自分の状況。これはそういう機械社会(情報社会でもいいけど)に翻弄されている現代人に対して、本来あるべき機械社会との共存はなにかということを問いかけている気がする。ネオが青い薬を飲むことで繰り返されるシーンもそういう疑いのない、疑うなといわれている日常を表しているような気がしている。

 自分は最近SNSを遠ざけることにした。たまに見るけど書き込みはしない。これをしばらく続けてみてあることが分かった。本を読んだり法話を聞く時間が格段に増えたのだ。そして集中力が違う。自分の場合は、SNSを書いて、読んでしていることで、心の中でさまざまな分別が起こりまくっていたのだろう。そしてそれはコンピューターじゃないから限度があって、そんなことで自分の中はパンパンだったんだろうと思う。それをやめたら静かなものが自分にできた。人によってはさみしさを紛らわすためにネット上の交流は必要なのかもしれないけど、自分はなくてもいいなと感じた。

 これが古い時代を知るナイオビが機械と共存して育たないといわれた植物を育てているような感じなのかなとも思った。それがなんだという人もいるけれども、大事なことでもある。

 さあ、そしてトリニティ。彼女は、夫がいて子供がいて趣味のバイクも充実して何不自由ない生活をしている。守るものがある。それと「本当の世界」=現実とどちらがいいのかの選択を迫られる。そう。今回の主人公はトリニティなのだ。煩悩で満たされた世界よりも本当の世界をとるのかどうか。真如の世界ではないけどね。

 

 ウォシャウスキー「姉妹」になったせいだろう、女性活躍、共存、というイメージが強い。ネオは今回、完全にトリニティにゆだねちゃってるのだ。自分はアクションにはこだわりがないのだけど、今回はひどかったみたいね。でも監督が描きたかったのはそういうのじゃないんじゃないかな。

 

 あと、これはいろいろ、「ねこのはなし」だった。驚くべきことに(映画は最後まで見よう)。すべてはねこのことだった。

 

 とりあえず、自分はよかった。ほかの人はわからない…。すべての人にお薦めすることができないにも関わらず、レビューを書きたくなった作品。