『今日の宗教の可能性』 大峯顯 百華苑
Amaznonにないので、法藏館のネット購入のリンクを貼っておく。
どうして大峯師の本は、すぅっと読めて世界が広がるように感じるんだろう。重々しさというより、自分の中から外に広がるような感じ。
最近、言語学系の哲学の本を読んだので、俳人としても活躍されていた大峯師のことばの選び方が法話としてもその力を発揮されているのかなと感じている。不思議なことに、強烈に印象に残るフレーズ的なものはないのだ。どの部分読んでもいいのだ。全部すごくて選べないといった方がいいのかもしれない。
今、真宗の教えを聞いている自分にとっては、第五章の真宗、宗教の問題というところはもう読んだら考えるしかないものがあった。第五章の後半から第六章の南無阿弥陀仏の名号 は、すごい法話だ。なんというか、書かれてることばからさらにその外にあるなにかまで感じられるようなものがある。是非読んでみてほしい。
これ、自分が中学生の時の講座の書き起こしなのだが、今読んでもというか、むしろ今の自分にいわれているようなことばでいっぱいなのだ。こういうのが時空を超える話なのかもしれない。時間の隔たりを感じさせないことば。すごい。まさに、「今日」の話を今聞かせていただいているのだ。
今年の読書はちょっと考えて、手当たり次第ではなく、読んだ本、自分が向き合った出来事からつながっていく感じで次の本を選んでいきたいと思う。
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