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『歎異抄』を読む 後序 その3 寺澤真琴師

2022年1月15日(土)19:30 真宗大谷派玄照寺
『歎異抄』を読む ―後序その三― 寺澤真琴師

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【案ずる・知る・分かる】
案ずる 
知る  領す 占す (全部を理解する。今の意味より大きい。) 主になる。
分かる

わかるは、分別思考で理解する。自分が安全な場所にいて品定めをするようなもの。
人間の思考の深度は深められないのではないか。

法蔵菩薩の思考=相手になりきる深い思考。

思考の共振

【「知る」の主になる】
弥陀をたのめば、南無阿弥陀仏の主になるなり。南無阿弥陀仏の主に成るというは、信心をうることなりと云々。また、当流の真実の宝と云うは、南無阿弥陀仏、これ、一念の信心なりと云々。(『蓮如上人御一代記聞書』)

「知る」というのは、知らされるというのも違う。

この「知る」という言葉の範囲についてちょっと考えさせられた。お話を聞いていく中で、それは一念のことかなと感じる。「そうである」とすべてを受け入れるしかないものが入ってくる瞬間。

 

【御恩】
その人が発したものが、受け取られたときに変質する。
分かろうとして聞くと、エモーショナルな方に振れてしまう。

仏教の話においての伝わり方って難しいなと思う。たしかにひとりひとりは自分の経験で聞くしかない。自分の知らないことを想像力を持って聞くにしても、想像力の材料は自分の経験でしかない。これはたしかにそうだなと思う。どんなに言葉を尽くしても微妙に違って受け取られることがある。

 

【念仏のみぞまことにておはします】
親鸞聖人は、いえた。全然信じてない人が語れるかというと語れない。そこまで自分は言い切れないけど、方向性としては先にそういうものがあるのかなと思う。わたしは知ることができないものだが、しらせようというはたらきがある。

寺澤師の感じられているところは自分も似ていると思う。方向性として先にある(かも)という感じはなくもない。そういうものだなあ。

 

◆寺澤師の法話レビュー

 

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