如是我我聞

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『マニ教』/青木健 第四の世界宗教にならなかった宗教

『マニ教』 青木健 講談社選書メチエ

 マニ教って、高校の世界史の教科書でその名を見たのが最後のような気がする。とりあえず買っていた積dleの一つ。

 衝撃だった。マニ教は第四の世界宗教にならなかった失われた宗教なのだ。なんの基礎知識もない私にしてみると、ドラクエとかFFに出てくるいわゆる僧侶が属する架空の宗教の成り立ちを説明されているかのような気持ちになる。自分の驚きポイントを列挙しておく。

・教祖の父親が適当すぎる

 結構ニッチな宗教集団に没頭して、マーニーを妊娠している妻を捨てて教団の元へ。そのあと4歳になったマーニーを教団に連れて行くという現代でいったらただの連れ去り案件。その後、教団になじめないから出て行く息子を戻るよう説得にいったら「じゃあ俺も一緒に行く」ってフットワークが軽いというか、どう言ったらいいのか…。布教するところも自分の好き勝手に移動していたようだし、残された文献の読み方によっては、息子より長生きした可能性がある…。

 

・確固たる聖典があったのに、主要言語がなくなって全貌が分からない

マニ教が宗教として成功した一つに聖典が初期からはっきりとあったということがある。が、どうも運というかたまたまマイナスの方向に行っているというか、だから第四の宗教になれなかったんだというか、肝心の聖典が残ってない。それを記したと思われ宇言語ごと消滅しているというのもあるようだ。中国やエジプトの方までマニ教は広がっているのに、これが原典だ!というものがない。あくまでもつぎはぎでその教義を推測することしか出来ないという…。

 

・教祖のマーニーが拗らせ男子

これは著者の見解なのかもしれないが、どうみてもちょっと神経質な感じではある。父親に連れて行かれた教団のTOPに言い寄られた説、時の権力者を改宗させるけど庶民にはあんまり布教しないとか…。

 

・敗者である宗教への研究者たちの冷たい視線

なんとなくだけど、海外の研究者の言及も、「ここがだめだったところ」「だから残らなかった」みたいな視点を感じる。これが今も信仰を持っている人がいる宗教だったら(たとえば新興宗教であれ)、こんな表現されないんだろうな。「だめだった宗教」という烙印が押されている感が半端ない。

 

それにしてもキリスト教、仏教へのなじみ方、なじんだ故に淘汰されていく様、たまたま政治情勢に乗り切れなかったところなど、一つの宗教の歴史のはずなのに、なぜか物語として読んでしまう自分がいた。人が信仰するということの歴史のひとつの見方として面白いと思う。

ああ、結局自分も「これはだめだった宗教」だけど、仏教は「残っているから本当の宗教」とか思っちゃう面あるんだよなあ。と自らの心の内を省みる。