如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

ひとりごと(SNSで発信することに思う)

news.yahoo.co.jp

 

このニュースを見て愕然とした。

これはサラリーマンの自分の感覚なのだけど、ここ数年、仏教界隈(あえて真宗に限定してもいい)にネット上で接してきて、理解が出来ないことがある。

 

それが社会問題に対しての発言の仕方。

 

【敬意】

安倍政権時には法話を聞いても、いわゆる「アベガー」といわれる人たちと同じ口調で批判をされることがあった。しかしながら法話を聞きに来ている身としては、そのお話も聞きますけど、なぜにご講師がその立場に立たれているのかをロジカルにおっしゃっていただけなければ、前提が分からない。ここに来てその講師のお話を聞きに来た時点で「アベガー」賛同者のような雰囲気でお話を進められても全然法話が入ってこなかった。

その方が法話を話される上で必要な問題なのかもしれない。でも聞く方にしてみると、まずどうしてその立場なのかが明示されないと理解が出来ない。みんなあなたが思っているとおりのことを正しいとは思っていない。

そしてその否定の仕方が、政治方針だけでなく、安倍元首相個人の病気や人格にまで及んでの否定になってくると、これはやっぱり聞けない。会社員の感覚だが、それは非常に差別的なことなのだ。

自分の会社には、障害を持って働いている人もいれば、たまに手術をしながら病気を抱えて仕事をしている人もいる。その人がその人として仕事を完遂できるように一緒にやっていく。スピードや量が違う。でもそれでもいいとみんな思ってやっている。病気であることを負としない。

安倍元首相やプーチン氏が病気であることを負のイメージを持って語ることに違和感がある。宗教というのはそういう視点を排除するものじゃないのか?

それ以上に思うのが、話すときには対象に対して敬意が必要だと思う。批判していいけど、敬意がない。そして敬意をもって話さないことの理由がまったくわからない。

人権問題とか差別問題とかの活動をされるわりに、そういうところが一般的な感覚とずれているのが理解できない。自分が正しい方だと思ったら突っ走っている感じがしてたまらない。見ていて不快であると同時に、ああ、全然考えてないんだなと痛々しく思う。「パーキンソン病の方に誤解を与えるなら撤回する」というのは、パーキンソン病の方が声上げなければOKということだろうか。自分はパーキンソン病について関係者じゃないけどこれだめだと思うけど。この感覚はおかしいのだろうか。

批判すべきは体制、システム、仕組み、それが是正されない原因のところではないか。病気の方がTOPに立つことを批判するのではなく、そうできてしまうシステムを批判すべきじゃないのかな。感情的、扇動的に出なく。

 

【確かなこと】

上記の政権批判についてもいえることなのだが、今回のプーチン氏がパーキンソン病ではないかという件に関しては、肩書きオープンで医師でもない人が病気の症状を書いて発信していること。しかも自分が見た感じだけで。プーチン氏の何をどんだけの時間見たんかいという話だ。

パーキンソン病患者に関して「薬の副作用でヒステリックになって(中略)近くにいる者でも敵に見える。周囲の人は手を焼いていた」ということであるが、たしかにご自身はこういう経験をされたかもしれない。目にされたかもしれない。プーチン氏への言及において、こういった主観的(他者が証明しようのない)文章をSNSで通りがかりに見た人が、「パーキンソン病ってそんな大変で周りに迷惑掛けるんだ」というイメージを与えるというのは予想がつかないものなのだろうか。

こういうグレーなことからデマ、誤った認識が拡散することもあるのに…。

 

また、リツイート、Facebookでのシェアでもそれを拡散することの責任についてもうすこし考えられたらいいのになと思うことはよくある。それはあなたがいいと思って、広まればいいと思ってしていることですか?そして書いてある事は第三者が検証出来ることですか?完璧にとはいわないけど。感情的以外のところの確認もあるといいと思う。

 

【自分がなにものに見られているかの自覚】

Twitterの身バレなしアカウントならこんなこと気にしないのかもしれない。でも、思いっきりオープンなわけだ。法話される人もちゃんと○○派○○寺 ○○師と書かれているのでお話しされているわけである。

今回の件は、インフルエンサーとしての自覚のなさとSNSを使われるにはあまりに未熟なリテラシーであると感じる。学長だよ。全然知らない人が見て、「学長という立場の人が言っているのだからそうに違いない!」と思う人がいないなんていえないだろう。みんな権威大好きじゃないか。

Yahoo!ニュースにまで出ても別に問題ないのだろうか。人間は誤るものだから。

でもこれは、差別の無自覚さの問題だから看過できないと思うのだが。あの人だからしょうがないねっていうことなのだろうか。その辺の感覚が会社員にはわからない。うちの会社だったら処分ある。そしてそれは全社員に通達される。株式会社じゃないから違うのだろう。

SNSでの発信に関しては、会社から教育や指導がある。こういうリテラシーもないと会社員やっていけない。ぶっちゃけFacebookで緊急事態宣言中に密なリアル飲み会なんて投稿したら速効問題となる。会社が監視しているのではない。社員のひとりひとりが危機感を持っているからだ。投稿した本人に話が行く。あ、これあかんなみたいなのがあったら。みんな勤務先書いてるもんね。自分の働く会社に誇りを持っているんだな(書いてない人)。まあ、書いてなくても友達になってたらバレる。

 

これを書こうと思ったのは、今朝、友だちとこの件を電話で話したからだ。友だちは仕事上、外国人、外国文化をバックグラウンドとする人と接することもある。その中で、ウクライナとロシアの話題がなあという話をしていて、仏教界もこんなことあったよっていったら、「それ、ロシアがどうこうじゃなくてリテラシーの問題じゃなくないか?」と言われ、ああ、やっぱり自分以外の人もそう映るんだな感じた。友だちは仏教徒ではない。

なんというのかなあ。こういうことも包んでいくってことなのかなあ。まあ、真宗の世界はやさしいと思う。でもこれってやさしいんかな。数年たっても理解できない。