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還相のはたらきがいま 光慶寺仏教講座 正信念仏偈(32)瓜生崇師

2022年8月28日(日)19:30
光慶寺仏教講座 正信念仏偈(32)「往還回向由他力」瓜生崇師

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2022年8月28日(日)19:30
光慶寺仏教講座 正信念仏偈(32)「往還回向由他力」瓜生崇師
「往還回向由他力」(『教行信証』行巻【真宗聖典】206頁)

五念門からの復習
大悲闡提 『入楞伽経』 断善根の衆生。あらゆる生きとし生けるものをすくいたいから闡提なのだ。わたしがすくわれないということ。
→『銀河鉄道の夜』のいたちとさそりの炎の話。

究極の事態になったときに自分からそんなことが湧き起こるだろうか。
カムパネルラとジョバンニは天国に着いたけど降りない。幸せとはなんだろう。
浄土に生まれることは幸せなのだろうか。自分は浄土に生まれるがあいつはまだだというのは幸せなのか。

常不軽菩薩 
『法華経』で見てすごいと思った。この菩薩の存在ってすごい。絶対出来ないと何回読んでも思う。この菩薩のところは是非一度読んでみてもらいたい。

すくわれてないからこの道を歩める。すくわれてしまったら終わってしまう。
→龍樹の『十住毘婆沙論』
菩薩の道を歩めないという悩み。どうしたらどうしたら(みんなそうなんか)。

なぜ仏の名を称えることによって、本願によってわたしがすくわれるのか
なぜわたしが菩薩の道をあゆめるのか
作心 すくわれたいと道を求めていく姿。七地沈空に陥る。未証浄心の菩薩。

すくわれたいと思って苦しんでいるのに進めなくなってしまう。菩薩になれない・・・。なんとかなしいことだろう。

回向門 あらゆる姿になってあらゆるものをすくっていく。
→すくわれるものとすくうものが混然一体となる
未証浄心の菩薩が浄心の菩薩(八地以上の菩薩)と等しくなる(同じではない)

声聞はわたしのことだ。最近いろいろな法話を聞いていても結果こういうこのとを思う。自分はそうじゃないと思っていても結局そうなんだというところに行着く。
浄土に生まれたいのではなく天上界に生まれたいのがわたし。
曇鸞が菩薩の道を行きたいという思いがこういう読み解きになっていまの自分に届くということを考えるとすごいとしか思えない。

五念門
曇鸞 菩薩の修行
親鸞聖人 法藏菩薩の兆載永劫の修行の姿 絶対終わらない修行 すくわれないもの
→往還回向由他力
還相のはたらきがいまわたしにはたらいている

『三経往生文類』善鸞の騒動の後に還相が書き加えられている。

自分に仏法を聞かせてくれた人というのを考えたら確かに自分にとっての「いい人」だけではないなとは思う。疎遠になった人から学ぶこともある。
最近苦手だなあと思っていた人がそうでもなくなった。そういう風にしていたのは自分かもしれない。その人も仏法を聞かせてくれた人なのだ。人間のありようを自分の身を以て知る機会を与えてくれた。
家族もそうかもしれない。
有名な人の言葉より、たまたまお聴聞先であった人とかわした言葉の方が忘れられなかったりする。
お聴聞先でいつもあうけどまったく会話しない人もそうだ。

なんというか、そういうのは他人に言わないで自分の中で気がついていればいいことなのかもしれない。

 

◆光慶寺 正信偈講座

 

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