如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

また読みたい 『存在と時間Ⅲ』ハイデガー

 

 とうとう読み切った。『存在と時間』は元々上下巻の予定で、今世に出ているのはいわゆる上巻部分のみで、ハイデガーは長きにわたって修正を重ねていったそうだ。

 やっと!やっと時間の部分に来たのだけど、実は自分は時間の部分が若干消化不良気味である。わからん・・・。これからいつかわからないけど死ぬということを例にとっての時間についての話はすごかかった。

 わたしたちは他者の死から死ぬとはどういうことかを知っている。そしてそれが自分にも訪れるものだとわかっている。でもそれが本当にはわかっていない。認識しているこの自分がそれを本当には出来ない。

世人はけっして死亡することはない。それというのも、死が、そのつどわたしのものであって、本来的には先駆的決意性においてのみ実存的に了解されるかぎり、世人は死亡することができないからなのである。けっして死亡することがなく、また終りへとかかわる存在を誤解している世人は、それにもかかわらず、直面した死からの逃避に一つの特色ある解釈を与える。すなわち、終りまでには「まだ依然として時間が阿ある」、と。

自分が死を認識しているはずなのに、わからなくなってきて、本当に自分が死ぬというはどういうことなんだろう。と考えると、瞬間死がものすごく怖くて不安になった。自分は死にたくない。多くの人がそうだと賛成してくれるだろう。じゃあ、自分が死ぬってどういうことなんだろうを突き詰めると全然わからないな。本を通して、現代の自分がこういう風に思うって、それだけハイデガーの表現が他者に伝わるものだってことなんだろうなあ。人間が持っている問い。

 ハイデガー読んでた友人と最近話をした。安田理深の思想ってめちゃくちゃハイデガーじゃないかということになった。最近聴く真宗大谷派が引用する安田理深の教えってハイデガー読んでたら言葉の解釈が違うんじゃないかと思うことがある。うーん、自覚ってどういう意味でいってんのかなあ。持論の形成に都合よく使ってないかなあ・・・と思うのだ。ということで、誰かに解釈された安田理深じゃなくて直接原典に当たらなければ。

 これ訳を変えてまた再読してみたいと思う。この本自体は、解説も充実していいと思う。

 

◆『存在と時間』

 

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