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光のイメージ 『親鸞和讃』を読む 「解脱の光輪きはもなし」 寺澤真琴師

2022年10月9日(日)
『親鸞和讃』を読む 「解脱の光輪きはもなし」 寺澤真琴師

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「解脱の光輪きわもなし
光触かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまう
平等覚に帰命せよ」(「讃阿弥陀仏偈和讃」3【真宗聖典】479ページ)

無辺光について。なぜ「輪」なのか。初転法輪の難しさのシンボライズ。
光:教え

暁烏師のあじわい。感情の袋小路を現している。人間は経験でしか語れない。なぜ浄土を語るのか。想像を超えたものが言葉になった。経験していないことをあったようにするのはまた違う。

今回のお話はまとめるというより、聴いて自分で考える感じ。座談したくなるような。

自分の思ったことをつらつらと。
光って触れないものだと感じているけど、「光輪」という表現になるとなぜか輪のイメージから触れられるもののように思える。それにふれるわたし。
有無ということばについて思いを巡らせても結局真如の世界のことを「思った」時点で違うものになるという堂々巡りのようなところは寺澤師のお話の中でもいろいろ角度を変えてお話しいただいたと思う。
この和讃は一番読むものなんだけど、自分の中でルーチン化していたなあと反省。こうやって最初からひとつひとつの和讃を考えてみると、和讃三淘も本当に聞きながら読めるというものだなとつくづく感じる。

 

 

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