『レヴィナス 無起源からの思考』斎藤慶典 講談社選書メチエ
レヴィナスについて知りたくて読んだのだけど、わかったのはこの斎藤慶典さんの凄さだった・・・。いやほんとたまにこういう解説本だと解説している人の持論とか「思い」に偏って本論わからなくなるのってあるのだけど、今回のこの本はいい意味で斎藤師の話を読めてよかった!!!
ハイデガー読んだ後だと、配視が「思われ」に通じるところがあって(厳密には違うけど)、さらには西田幾多郎の絶対無と純粋経験につながるものを感じるのだ!
気になったところだけ最後書く。
言葉においては、それら私に直に触れるものを通して、私は決して触れることのできないものに向かっても開かれてしまってはいないか。言葉において私が読み取るものは、聴き取るものは、私がそれに決して触れることのできないものから発しているのではないか。
つまりそれは、「触れた」と思ったその「瞬間」にはもう失われてしまっており、いくら石板を眺めても、そこにはその「思い」に対応する何ものもないのだ。残っているのは、一瞬それに「触れた」ように思った私のその「思い」だけなのである。
時剋の極促を思う。最近西洋哲学の本を読むにつけ、瞬間というものに行着く人たちの多さにびっくり。人間って不思議だな。
読まなくちゃリストに斎藤慶典 の著書あった。やはりすごい人なんだ。
◆師匠のハイデガー