『夜と霧』 ヴィクトール・E・フランクル (著)池田香代子(訳)
ナチスドイツの収容所を生き延びたある心理学者の内面の記録。非常に客観的であるがそれゆえに残酷さが際立つように思う。感情に流されずに見つめた先の人間のどうしようもない暗さを感じる。
映画『シンドラーのリスト』を見たときに、これも昔読んだけど再読せねばと思っていて久しぶりに読む。『シンドラーのリスト』を観た後だと全然脳内の映像的補完の度合いが違う。本当にこの本もあの映画もすごいのだ。
本ではほとんど「ユダヤ人」という言葉が使われていなくて、それには気がついていたけれどもあとがきを読んでやっぱり・・・と思った。
なぜ生きるのかなんてどっかできいた言葉だが、フランクルはこう語る。
わたしたちが生きることからなにかを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
(中略)生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の陽性を充たす義務を引き受けることにほかならない。
なんというか、整然とした文章で、そんなのわかっちゃいるけどもといいたくもなるが、死線をくぐった彼の言葉だからこそ本の中で読むこの部分は自分にぐっさりと突き刺さったのだった。
今日はお昼休みに会社で読み終わってしまい、フリーアドレスのすみっこの席で涙を流してしまった。
これはユダヤ人迫害、強制収容所の記録ではない。人間をどこまでも深く深く見つめていった記録なのだ。
痛みを伴うが、是非ご一読あれ。
帰ってからフランクルが好きだったというグスタフ・マーラーの「大地の歌」を聞いている。