『歎異抄を読む』31 第七条 本光寺 瓜生崇師
2023年4月10日(月)19:30~
第七条
「 一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々」(【真宗聖典】『歎異抄』629ページ)
◆「ねんぶつしゃは」と読むか、「ねんぶつは」と読むかについて
念仏したからどうなるということになった「人」になる。その後に書いてある事を鑑みると「ねんぶつは」であると自分も思う。
無碍=海
・仏さんから見たら良い人生も悪い人生もない、一切分け隔てをしない。不二。
これは言葉にしたら本当にそうだなと思うのだけれども、それは自分の価値感でのわけへだてながいということがいいなと思っているのであって、結局「自分」という土台の上でしか考えることが出来ない自分の身においては、理想的だいいなと思ってもそれも差別なのであると最近実感している。
・無明が破られる時=暁 太陽がどこにも見えてないけれどもほのかに明るさが差している状態。
・「破る」と「消える」は違う
自分も違うと思って聴いているが、どうしても「消える」と仰る方がいるのでそのような人生を生きていけるならばいいけどそういうもんなんだろうかという思いが消えない。それでは自分はなんのために聴いているのだろうかということを考える。
大谷派は座談が好きで「自分はこうおもう」というのを口に出すという雰囲気があるが、自分はそういうことがあまり得意でない。なんのために聴いているのか、はっきり明示しなくてもいいのではないかと感じている。
・「夜明け前が一番暗い」
どうもイギリスのことわざらしい。まさか内田樹の本のタイトルじゃないだろう。
The darkest hour is always just before the dawn.
・平太の熊野参り
神仏に関して信じる、願うということはしたい人はしたらいいと思うが自分はなにもおもわないので沈黙することにしている。しかしながら家族が関わってくるとめんどくさいことになる。
天地の鬼神に護られる。いろんな人が親鸞聖人を護ってくれたということなのだろう。
ああ、自分もそうなのかもしれない。
◆本光寺のお話