如是我我聞

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『善悪は実在するか アフォーダンスの倫理学』 客観的な善悪とは

『善悪は実在するか アフォーダンスの倫理学 (講談社選書メチエ)』河野哲也

 

 正直「善悪」という単語で買ってしまった。まったく前知識なし。

 まずはアフォーダンスという概念にびっくり。

環境のアフォーダンスとは、環境が動物に提供する物、良いものであれ悪いものであれ、用意したり備えたりする。

例えば、面があれば、立つことや休むことをaffordする。崖は落下による負傷をaffordする。四足歩行、二足歩行の動物にとってはそうだけど、鳥には崖は負傷をaffordしない。

「それ」と「動物(人間含)」の関係性によってかわってくること。最初なんじゃこれとおもっていたのだけれど、読み進めていくうちに大変面白く感じた。自分は自分の主観で何でも判断していると思っているけれどもそうでないところを攻めてきているのだ。

詳しい内容は読んでもらうとして、最後どこにいくかというと、法社会。法がわたしたちにアフォードしている(でいいかな)。

「どうして人を殺してはいけないのか」という質問に答えられない。道徳性と法で答えることになると思うが、人間が今自然の理として答えられないということ。それは動物としてのアフォーダンスが自然であれば共感による道徳があるのだが、法がその道徳(善悪)、暴力も含め奪っているという見方。

修復的司法。これは死刑や懲役でなく、加害者がどこまでも被害者の為に行動し、「謝罪、改悛、償い、赦し、癒やし」が重視されるという。これが重要と言うことは、宗教の世界ではないか・・・。わたしたちの行き着く先は宗教なのか・・・。

動物視点からの善悪。これが客観的に見られるのかということだったが、自分としてはわからない。ただ、いろんな前提があって自分の思考があるけれど、それはaffordされているものがあってなのか。ちょっと頭がぐるぐるするが一つのものの見方として参考になった。