如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

『生命の大地に根を下ろしー親鸞の声を聞いた人たち』 

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 もう絶版の本。友だちからいただいた。

 大分前に一回読んだのだけれど、当時の自分にはちょっと難しいというかわからなかった。わかろうとして読むと非常に難解な世界だった。

 先日YouTubeの浄土真宗LIVEで百々海真師が紹介していたので改めて読んでみた。

 

 


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 本の内容としては、1987年初版なので、1980年前半くらいからの北陸の浄土真宗の門徒、篤信者と呼ばれるご年配の方々に仏法について語ってもらっているインタビュー集というところだろうか。これはある意味貴重な記録である。方言そのままに書かれているのでニュアンスを取り違えないようにと考えられてのことだろう。石川県中心ではあるが、自分も特に意味の注がなくても脳内で音声再生されるような感じである。

 そこには感想は差し挟まれず、ただただご本人の言葉だけが並んでいるのである。

 お聴聞をしている中でこの本を読んでみて、なるほどと思うこと、そうかな?と思うこと、いろいろだった。あくまで自分がこの方たちのことばと向き合ってどうなのかだけなのだ。そこはとてもいいところだと思う。わたしとあなた。

 たぶん、一回読んで終りじゃないと思う。法話を聞いていても、同じような内容でも全然違ったことに聞こえることがある。自分はいつも一緒じゃない。代わり通しの自分が同じ言葉に向き合ったときにどうなのか。そういうことを確かめることが出来ると感じた。

 いつも気になるのは、こういう篤信者や妙好人の本というのはやたら自分に「このようになりたい」「お話を聞いていればこのようになる」というインプットがされそうなところなのである。それも自分の心次第なのだろうけど、なにぶん思い通りにならないのですぐにこれがいいモデルだと思ってしまうのだ。いかんいかん。

 今回読んで目がとまったところ。

「・・・結局たべたもんが血になり肉になりして生きる力になるがやね。別に聴いたことを覚える必要ない。聞こえたままでいいがや。」と。そうおっしゃられてちょっと安心しとるがや。そやけど、やっぱりほんまに聞こえてきた言葉というもんな、なにかに出遇うとひょこっと思い出されてくるもんやね。そういうこたようある。

あるある。なんでやろな。あるある。ご存命なら100歳を優に超える方の言葉にいまうなずく。