如是我我聞

仏教書、お聴聞の記録をつけています。

浄土真宗の法話配信・『わたし一人のために』(寺澤真琴師)

2020年4月7日(火) 19:30-20:45

寺澤真琴師 (本願寺派 清徳寺住職)

 

浄土真宗の法話配信

http://m.shinshuhouwa.info/article/index.php?id=50593

 

www.youtube.com

 

YouTube LIVEの法話。

YouTubeで見られるのであれば自分の書いている感想というのはひょっとしていらなくて、とりあえずご覧下さい!でいいのではないだろうかということをちょっと思う。

 

緊急事態宣言開始直前ということで、東日本大震災に寄せた大峯顯師の俳句を紹介していただく。

『はかりなき事 もたらしぬ 春の海』

高名な評論家に批判されたが、後々の世で評価されるだろうということ。俳人というものができることは俳句を作ることだ。私たちは専門の方の邪魔をすることがあってはいけないなということを思ったと。春の海って素敵なはずなんだけどね。

 

親鸞聖人の下山について、『行者宿報設女犯・・・』からひいて解釈に迫る。

親鸞聖人がなにを考えられたのか。人はどうしたら生きやすくなるかを求めることと、どうやって死んでいくかということをどちらかに偏ってもおかしい。生死を超える道を求めていく。

親鸞聖人が異性に対する煩悩で下山したのではないかという、なかなか興味喚起としては刺激的な内容とそれに対する検証された内容で反証。理系だ・・・。

山に居ては罪業が見えないから降りたのではというお話。

 

後半は、ひとりひとり違うということ。みんな苦手なことがある。世間でクローズアップされるのは、それを克服しただけの話。でも出来なくて苦しんでいる人はたくさんいる。その苦しんでいる人がそのままでいいわけがない。選べないこと、出来ないこと、比較することで苦しみを生み出している私たち。

例えば、お寺を継いだ僧侶が、「お寺に生まれて坊さんになるのが嫌だったけど、今坊さんやってます」という克服した話。これは予定調和だろう。こういう言葉は今苦しんでいる人には届かないだろう。

・・・はい。その通りです。めちゃくちゃたくさん、この手のお話しを聞いてきた。もうわかった。そうですか。としか思えないことがほとんど。それもその方の中ではそうなのだろうけど。

社会は形を変えていくが、私たちの苦悩は変わることなく、それでも人間を超えたところでわたしにはたらきかけてくれるものがある。

とても理知的に、論証しながらお話しをされる寺澤師だが、「今苦しんでいる人がそのままでいいわけない」とおっしゃる言葉には、人に対する思いというか優しさをとても感じた。きっとそれはご自身のいろいろなご経験から滲み出るものなのだろう。

よかった。ありがたいといわないありがたい話だった。

 

昨日は、突然明日から在宅勤務。GW明けまで会社来なくていいということになった。上層部は常に誰かが業務出来ないことを想定して緊急時の対応を考えるが、今回は「緊急時の対応が出来ない」の奥に、「COVID-19にかかって死ぬかもしれない」ということを誰もが想定していた。年齢の高い方の中には、基礎疾患をもたれている方もいる。それも配慮していろいろ考えていく。それは上層部だけではなくて、一般社員も同じであった。在宅をしていたとしても罹患することは充分にあり得る。そのときの対応をどうしていくか。あくまで会社の業務を基軸に。でもその先に、業務が出来ない理由に死の影がある。

帰るときに、ある人が言った。「GW明けに、みんな生きて会おうね」と。冗談味を帯びた言葉だったけれども、半分みんなそう思っていた。「生きて会おう」。有名人の死や罹患、事業存続のための話し合いを通して、自分たち誰にでも訪れる死を感じた一日だった。

テレワーク、1日目。普段近くにいてもそれぞれの仕事が専門化していて、交流することがあまりない。でも昨日隣の同僚が、「鹿さん、みんな一斉に連絡取れるやつなんか設定して」と依頼してきた。Teamsで部門全員のチャットグループだけ設定した。個別でチャットやればいいだけじゃないかなと思いながら。

朝からみんなが部門のチャットに参加してくる。使ってくれるんだ・・・。いつもは絶対話すことがない人も。「いまネットワークの状況、・・・です」「アクセスできないエリアのデータでこれください」「派遣の○○さんも、手続き終わったんで明日からテレワーク出来るからみんな安心してね」「今日は業務終了します。また明日!」家にいるけど、ひとりじゃなかった。

すごく俗っぽい。とてつもなく俗っぽいけど、自分はこれを寺澤師のはなしのはたらきじゃないかなと思った。思ったらだめなんだけどね。