ナチス関連で、
『ヒトラー ~最期の12日間~』 オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督 2005年
を見る。
最近見た『帰ってきたヒトラー』とまったく違うテイスト。
淡々とヒトラーという人間と、その周りの人々を描写することによって、何か突出して神のような能力を持った人がいたわけではなくて、ヒトラーという人間に忠誠を誓わざるを得ない、そうしないと生きていけない人たちというものを見せられた気がする。ヒトラー自体は恋人や秘書、関わり合いのある女性たちにはとても優しかったが、自分の気に入らないことがあると癇癪を起こして手が付けられない。これはなあ、、、会社にもこういう人いるよなあ・・・。普通の人間だ。めんどくさい人間だ。例えば最期の最期で周囲はこのままではすべて滅んでしまうとわかっていても、その呪縛のような忠誠から逃れられないのはなぜなんだろうか。ゲッペルスほどの頭脳を持ってしても最期まで忠誠を誓ったのはなぜなのだろう。
「目を開けていればわかったかもしれない」
というさいごの女性の言葉(誰かは書かないが)、究極の窮地において、人間は目の前のものを選ぶことで、それがなんとかなるのではないかと信じ込もうとするのだろうか。
戦争で5,000万人が亡くなり、ユダヤ人が600万人虐殺された。
これを引き起こしたのは、頼りになる者をもとめた普通の人びとと、それを器として与えたヒトラーというただの人間。それをこうなるまで続けさせたのは、「目を開けていない」普通の人びと。出てくるのはほぼ普通の人びと。超人なんていない。
いまの世界、社会で起きているコトは、人間が起こしている。メディアで様々な情報を目にするときに、それを忘れないようにしたい。それが起きているのは、ものすごく悪い人が一部にいるのではなくて、元はといえば自分も含めた普通の人びとなのだ。きっと。