如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

あるイベントに行ってきました

寺で日本酒を飲む会を開いているとニュースに→仏教界隈で話題になっていた。
その近所に住む友人に声を掛けたら行ってみたい!とのことで一緒に行くことにした。
自分は意見をするにしてもとりあえず相手をちゃんと見ないといけないと思うので、今回実際に行って見て、どうなのかを自分で確かめることにした。
ちなみに5年前に病気を元に断酒。元々強くないが、20年間は接待中心に飲んでいたので飲む側の気持ちも飲まない側の気持ちもある程度わかる。

 

16:00 
寺の前には20代と思われる若者4、5人しかいない。あれ??と思ったら、本堂に人だかりが。
門の横には酒瓶がディスプレイしてあった。(帰りがけに友人が言うには一番右にあるレアものが今日はなかったのでちょっと嘘だなと。しらんがな。)
門を入り本堂の入り口前で、メニューに基づき購入。
友だちは1杯(300円)とお漬物3種セット(200円)。自分はリンゴジュース(100円)とお漬物3種セット。
お酒のオーダーの場合、単品ものは紙コップが渡される。
全種呑み比べの場合(2,000円)、小さい透明プラのコップが渡される。

受付、設営などは大学生とおぼしき人々が担当している。主催の副住職は座ったままで特に動かない。学生はたぶん副住職が主催しているプロジェクトに参加している人だと思う。ホームページ先のリンクのnoteでは協力者に大学生がいた。その他協力者と思われる大人が3名くらい?

もうすでに30人近くが本堂内にひしめき合っている。すごい。
座る場所を確保。友人は去年だか某かの人気ナンバーワンのお酒をついできた。
内陣きわきわ右側が酒を並べてあるコーナー。人が密集している。
側ですごく明るい女性の方がお酒に関する質問に答えている。めちゃくちゃ感じがいい。

参加者は多分40代後半、50代以上。夫婦、男性同士、女性と外国の方も、二人組が多いかな。会話を聞く限り、近所の人が多い。旅行かな?という出で立ちの方も見受けられる。

16:20
スタッフの感じのいい女性が話しかけてくれた。酒屋の人かと思ったら、日本酒の資格を持っている大の日本酒好きの方だった。
こういう日本酒のイベントをもっとやりたい!自分でも企画したいと思うと仰っていた。そうか。これは日本酒のイベントだったんだ。仏教イベントという認識ではないのか。なるほどなるほど。
今日はニュースに載ったので人が多いらしい。
とりあえず、すごく感じのいい女性で感心した。

16:30
酒情報の交換というのをきっかけに周りの人と友人が会話し始めた。ていうか、友人がこんな酒好きだとしらなかった。隣の父娘(?)は近所、向いのご夫婦は遠方からの旅行中だった。みんなで珍しい酒が飲めるところの情報交換をしている・・・。自分は沈黙。周りの様子を見ている。
周囲を見ても、一緒に来た枠を超えてテーブルで会話が盛り上がってというのはあまりなく、酒をつぎに行った時にさっきの感じのいいスタッフの女性と会話が盛り上がっている雰囲気。

 

小学校低学年くらいの男児連れの母子がきた。
子ども向けの駄菓子のうまい棒とグッピーラムネが阿弥陀さまの真ん前に用意されていたようだ。
男児は何本か持ってきて机の上に置き、ラムネを飲んでいた。超絶つまらないのだろう。母親のスマホでずっとゲームをしている。つまらんよね。いいんだよ。でもなんか、もやっとする。自分としては酒を飲む場に子どもを連れてくるという感覚(たとえば居酒屋に子どもを連れて行く)というのがOKではいので。酒を飲んだ大人ってどうなるかわからんからな。つまらない子どもを連れてきてまでも呑みたいものなのか、そこが自分にはわからない。わからないことを批判にしてはいけないけれど。でもそうせずにはいられないなにかがあるのかもしれない。今思えば、話しかければよかった。

16:35
全種呑み比べって言い方だけど、結論、呑み放題なんだよね。
本当にみなさん何回も何回もおかわりにいく。本来その目的でいらしているのだからいいのだけど。
どこか酒を飲みながらまったりするというよりは、呑み放題要素が次へ次へと向かわせている様な気がする。
ああ、自分の父も日本酒大好きなので、来たらこうなるだろうなと遠い目で見る。

そして沈黙していた副住職が、阿弥陀さまの前に立つ。いよいよ法話か!?と思ったら
「本日、非売品&特別なお酒を1杯500円で!!!」
箱に入った高級そうな2本の日本酒が登場。伊勢神宮に奉納している酒蔵らしい。拍手が巻き起こる。
1,000円(2種類分)を握りしめた人たちが前に詰めかける。すごい!勢いがすごい!
副住職自らがコップに注ぐ。別売りだから。その間も呑み放題のところから人がいなくなることはない。
友だちも1,000円握りしめていく。戻ってきたお酒を見せてもらったけど、色がついていた(何の感想)。自分のリンゴジュースみたいやん。

17:00
多分40人ぐらい人がいる。自分はもういいかなと言う気分になってきた。
ちなみにお漬物は瓜のものがめちゃくちゃおいしかった。でもコラボもしてないのか、何の宣伝もなく本当におつまみとしての役割しか求められていなかった。むしろ自分は買いたかった。
友人が、「法話とかないね」という。そうだね。もう帰りたい。この中で酒に興味がないのは自分とそこにいる小学生だけではないだろうか。完全なアウェイである。
いろいろ周りの人と話してみようとやる気満々だったけど、あまりにもみなさんの酒への意識集中がすごくて、正直話しかけられない。周りの人も、酒の情報交換しかしてない。そしてみなさんどんどん顔が赤くなっていく。声が大きくなっていく。

17:10
副住職が動いた…!「お彼岸なので十二礼やります」と。おおおおおお勤めやるんやと思ってお念珠出して正座したら、誰一人、振り向かない。
副住職が南無阿弥陀仏とお念仏している時も、声明が始まっても、誰も一切聞いていなかった。
衝撃的だった。ここ。お寺の本堂。
まったく無視。本当に。まったく。お経が始まると姿勢を正して静かにとかいう自分の常識がまったく通用していない。
この間に自分の虚しさの頂点がやってくる。なんなんだここは。スタッフのもまったくお勤めがされていることを気に留めていない。なんなんだ。お経やらんでもいいのにねという声が聞こえた。

17:25 
声明が終り、副住職が阿弥陀さまの前でお話をされる。

*ご質問いただくことが多いので追記しますが、これは法話ではなく、来場の方への挨拶です。

これがまた、全然聞いてない。
・ニュースになってお坊さん界からは一部批判された。文字数の関係もあり記事内容が不十分で伝わらなかったからだ。
・みなさんのとまり木になる活動をしていきたい。
・生酒を見ていると、うつりかわっていく諸行無常、このわたしたちと同じだと感じる。そういうことを伝えたい。
・街寺のあり方として寺の敷居を下げたい
・高校生・大学生の夢を叶えることもやっていきたい。
・仏事に関わるご相談を承ります
というようなことを4分、お話しされていた。高校生・大学生を見据えているのか。すごい。

隣にいた真っ赤なお顔の近所のおじいちゃんが、
「生酒が諸行無常って、それはちゃうやろ」
といった。ほんまやな。

17:50
退出。呑み放題の人は全然帰る感じがしない。自分たちとほぼ同じ感じで出る人が少しはいた。滞在時間約2時間。出るより入ってくる人が多い感じ。外のテーブルと椅子席、縁側も人がいる。
友人は楽しそうだった。

以上がレポートとなる。

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これをブログに書くかどうか迷った。でもせっかく行ったのであれば「寺で酒飲んでる」という情報だけでいろいろいうのではなくて、行ってみたひとの感想をみてもらうのも意味があるのではないかと思って書いている。

副住職はビジネスとしてやっていくということらしいのでその観点から。
「人を集める」ということであれば、大成功だと思う。2時間で出入りで50人近く来ていると思う。自分たちが出た後20時まで続くと考えたら、70人くらい来てもおかしくないはずだ。

2,000円/人が支払っているとして、140,000円。これに特別追加の500円/杯 24杯(720ml×2本)×500円=12,000円。
152,000円
収益としてはどうなんだろう。学生含むスタッフがボランティアだとすれば、人件費はかかってないかも。場所代も。

近所の人が多いというのは、地域コミュニケーションの拠点としてはありかと思うのだけど、近所の人同士が仲良くしているという感じはなかった。みなさん意識が完全に酒に向いていて交流しているとは感じられなかった。ここに力を入れるのであれば、会話の潤滑油としてスタッフが会話に入って声がけしていくというのがあればいいかなと思う。

そもそもビジネスであれば、成功かどうかを判断する目標値というものがあるはずなのだけどこれってどこにおいてるのか気になった。そもそも開示せよというものではない。自分が気になっただけ。

今回のイベントでは分からなかったけれど、高校生や大学生を支援する活動はいいなと思う。僧侶が宗門校じゃないところで若者に関わっていくのはいいと思う。そこに宗教が関わるかどうかというのが難しい問題ではあると思う。

酒が好きな人はたくさん飲めて楽しめる。飲めない人は、楽しくない。そもそも来るななわけだろうが・・・。
飲む人と飲まない人の壁が出来るのはターゲットが違うから仕方ないのだろうけど。

そして真宗門徒として自分が思ったこと。

声明、南無阿弥陀仏に対して、誰も聞かないで酒をつぐところに殺到しているのは虚しかった。
本当に一顧だにしない。周りの人が「お経やらんでもいいのにね」といっていた。数メートル先のお勤めが聞こえない。
こんなに聞かれない状況ならやる意味があるのだろうか。
せめて声明とお話の際は、静かに前を向いてということを徹底してもよかったのではないだろうか。
蓮如上人が、遠くから来た御同朋を酒でもてなしたから真宗の酒はいいんだという人もいるけど、それって「御同朋」だからじゃないのか。一緒に南無阿弥陀仏に集っているからじゃないのか。先に南無阿弥陀仏だろう。酒が先じゃない。

仏法に関しては、本当に、伝える場にはなっていないと思う。正直胸が痛んだ。南無阿弥陀仏がまったく無視される本堂なんて・・・。
一度聞いた南無阿弥陀仏はなくならないと思う。今日の南無阿弥陀仏を忘れない人もいるかもしれない。南無阿弥陀仏のはたらきを自分で限定するなんておこがましい。でも自分の感想としては、伝えられてないと思う。

本堂で酒を飲んでいいかどうかの教学的、歴史的是非は無視して、飲酒を助長することをするのは違うなと思った。
やっぱりね、依存症があるものなんだ。それを忘れて「たしなみ」だけに注目しちゃいけない。子どもも連れてきていいのかどうか自分は疑問。酔っ払った大人がみんな節度ある人かどうかわからない。
人間、目の色が変わる。酒、酒、もっと、もっと、新しい種類が出た!って。仏教に絡めるのであれば、少なくとも呑み放題はやめた方がいいと感じた。
実感として、自分は仏法を広めるために酒を飲むというのは、なしだ。

仏教を広めるためにいろいろなことをするのはいいと思う。それぞれの人間として得意分野があるからだ。いろんな入り口があっていいと思う。自分はひたすら聞法が好きなタイプなだけだ。
忘れないで欲しいのは、真宗、宗教なんだ。

寺の敷居はこれ以上ないほどさがっていた。阿弥陀さまが見えなくなるほど。