如是我我聞

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長源寺 同朋学習会「無量寿経」(33)(瓜生崇師)

2023年9月14日(木)19:30~
長源寺 同朋学習会「無量寿経」(33)瓜生崇師

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三三 たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が光明を蒙りてその身に触れん者、身心柔軟にして、人天に超過せん。もし爾らずんば、正覚を取らじ。」(【真宗聖典】『無量寿経』上巻21頁)

・十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類:全ての宇宙の生きとし生けるもの
・柔軟心がなければ普賢の行が出来ない。
・わたしが仏になりたいの手前に「天になりたい」がある。天は住処に出来ない。

そうかあ。柔軟なこころ、いまないですわ。。。自分が最も愚かだと思えるこころがないとならないよなあ。まずはそこからなんだろうなあ。

『浄土論』に 広略相入
広:形に、言葉になって現れる (法藏菩薩)
略:真実真理 言葉を超えている
これが立ち現れていくるのが柔軟心。

おおおお!次元がまた違う!

三四 たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が名字を聞きて、菩薩の無生法忍、もろもろの深総持を得ずんば、正覚を取らじ。」(【真宗聖典】『無量寿経』上巻21頁)
・無生法忍:七地以上。もう生まれない法が堅い。
・盲亀浮木のたとえ
生まれたということは死ぬんだけど、その宿命をどうしても理解できない。他者の死に触れてそれをわが身に重ねて恐れることはあるのだけど、忘れてしまうものだ。
今回、法話の前に堂内に大きな虫が現れた。なかなかの捕物帖だったのだが、ご門徒さんが捕まえて外に逃がして、「殺生はしておりませんよ!」と。その虫の命を思いながらこのたとえを聞いたら、知っているのだけど、いつもよりうなずけた自分。
・指月のたとえ
 これ話を聞いているときは納得できる。自分で説明してって言われると戸惑うやつ。

 南無阿弥陀仏は仏の名であるが、仏を指す道具としての言葉・記号ではない。真実そのもの。

 知っている譬え話でも、聞くときの自分の状態によってこうも捉え方が変わるのかと思ったのが本日の重要な点だ。なんどでも新しく聞けると思っているのは、聞いている自分が変わり通しだからなのだな。

 

 次回、第三十五願から。

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