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握りこぶしはないはずなんだけど『『教行信証』からひもとく浄土真宗の教え』藤澤信照

『『教行信証』からひもとく浄土真宗の教え』藤澤信照 法藏館

梯實圓和上の講義録らしいということで読み始めたんだけれども、全然違っていた。

正確には、「梯和上の名講義録「真宗要論」をもとに著者が丹念に咀嚼・推敲を重ねた」真宗教学のダイジェスト版。これを読めば、浄土真宗の教えがわかる。」(帯の文言)なのである。

自分はド素人である。大谷派の先生の『教行信証』の講義を3つくらい聞いて、聖典の『教行信証』を自分で読んでみたことがあり、ガッツリ『教行信証』の本を本願寺派の先生ので2冊、大谷派の先生ので1冊読んでる。そういうスペックでこの本を読んだときに、まず本願寺派向けなんだなあと。お西の四文字熟語がたくさん出てくる。そしてそれは共通理解前提で進むのでかなり脳内で補完しないと読めない。読みにくい。

自分が期待していた梯和上の講義録としてはまったく違っていた。著者の方のノートを元にそれを著者が解釈しているのである。そのため自分は梯和上の本とか法話の録音聞いた時のうわああああ!いいなああ!というのを期待していたのだが、それはまったくない。断言するけど本当にまったくない。ここは自分みたいな動機で読もうとする人がいるから強く伝えておこうと思う。

「これを読めば、浄土真宗の教えがわかる」とのことなんだけど、すごい自信だなあ・・・。梯和上の講義が元でそれを推敲してまとめられたのだと思うけど、ここまでそぎ落としたような形であれば、箇条書きと表でもいいのではないかと思った。もうExcelで書けるよ、きっと。お西の教学で正しいことが書かれているんだと思う。

この本読んで思った。法話ってすごいわ。いままで法話のメモとかブログで公開してきたことが恥ずかしくなった。要点にしたら法話って全然よさがなくなるんだわ。すみませんでした。謝ります。自分のために要点にするのはいいけど、それ他の人に見せたらだめだわ。そう思った。それくらい梯和上の法話を聞かせていただいて感じられたことがこの本から感じられなかった。法話とこういう講義要点というのはまったく別物なんだな。

読み終わってやっぱりどうしてもゆるせないことが一つ。帯の「門外不出のテキスト」ってあるけど、この表現ってどうなんだろう。梯和上の弟子じゃないと知り得ないことがあるってこと?それをこの本に書いてますという風に読めるのでこれはだめだなと心底思った。

握りこぶしはないはずなんだけどね。そういう弟子にだけ伝えるようなことがあるんだったかかなり興醒め。

本願寺派の教学に興味、素養がある人にはいい本なんだと思う。そういうニーズで書かれた本かもしれない。正しいことが書いてあるんだと思う。自分には読みにくく、厳しかった。触れ込みがおかしい。

 

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