如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

社会問題を書籍にするのは…。

 

歎異抄に学ぶ: 世のいのりにこころいれて (響流選書)

歎異抄に学ぶ: 世のいのりにこころいれて (響流選書)

 

 歎異抄のお話のはずが、社会問題、現政権への批判が突如現れるので困惑した。

 伝統仏教教団が社会問題にどうかかわっていくのかという事については、いろんなアプローチが検討されてしかるべきだと思うが、現政権や、特定の意見を持っている人に対して、意見をしている時点で正義と悪の対立になってしまうので、一般人からするとどうしてそちらが正義なのかが検証されずに書かれている気がして、これ自体が浄土真宗の所属宗派のご意見なのか???と思ってしまう。

 


 いろいろな意見をされるのは言論の自由としていいと思うが、『歎異抄に学ぶ』という教団でも大事にされている書物の名前を含んだ題名で、”よのいのり”がこれであると断定した内容で書籍に残されるのは大丈夫なのかと正直心配だ。

 しかも、書籍というのは、ずっと残るわけである。数年たっても、何十年たっても、絶版にならない限り、読者は存在するのである。その場合、歴史的に教団がこのような社会活動を行ったという記録以外に、個人の方のその当時の社会問題に対するご意見を後で状況がわからない未来の読者はどう解読していくことができるのだろうか…という疑問がある。

 この本だけの事ではないが、対立するイデオロギーに関する事は、公式の教団の見解以外をテーマのメインに盛り込んで本とするのはやめた方がいいのではないかと思った。個人として、TwitterやFACEBOOKで主張を展開されるのはいいと思うし、どうしても著作で言いたいのであれば、第三者的な感じで、こういう見方もあると紹介する程度が読者の負担にはならないのではないだろうか。割合少なく。あくまでも個人の感想である。

 純粋に仏教書として読みたかった私としては、せっかくの歎異抄のお話が、読者のフォーカスから外れてしまうので非常に残念だった。