Kindleで読むときに、自分がちょっと気になったり、考えたりしたときにラインを引いてメモに入れるのだけれど、この本は、さーーーっと頭に入ってきて、あまりメモを取らなかった。というのも、難しいとか、興味をひかなかったとかそういう感じではなくて、低い段差を確実に登っていくような確かさがあって、そのまま終わりまで行ったというような読後感。
著者は、念仏を本願として選ぶ理由を探していたが、法然上人の言葉から、「聖意測り難し」と、自分の知るところではないという答えを出しているところにたどり着く。本願に条件が付くとすると、最低限の必要条件が、すべての人に同じように通じるという事でないとならないといっている。一切の人のが平等に往生するという保証が必要だからだ。
一切の人の平等の往生が約束できないならば、阿弥陀如来は阿弥陀如来でなくなってしまう。
・阿弥陀如来の本願
・それを疑ってしまう私という煩悩具足の凡夫
この繰り返しというのが、自分の中でメモを取る間もなくどんどん読み進めていくところではないかと思う。
本を読んだり、聞法を続けていると、わかった感じになることがある。こんな感じだと。でも、また次の本を読んだり、違う方のお聴聞をすると、また新たに自分の「わかった感じ」が変わっていく。わかったというより、都度都度違う事を聴いてああ、自分は本当にわかっていなかったと思う感じ。これでいいなんてなくて、私という凡夫はなんども新しく本願を聴いていかなくてはいけないのだなと思う。
聞法で大事だと思われる部分が、様々な典拠の話でもって語られるので、繰り返し読んでもいいと思う本だった。