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『死について考える』/遠藤周作 滲み出てくる人生観

『死について考える』 遠藤周作 光文社文庫

 続けて遠藤周作。

 「死」というテーマについての短いエッセイがたくさん。「死」は誰も知らない経験。希に臨死体験者はいるが。でもすべての人に平等に訪れるもの。それについて話されることというのは、人間性というか人生観が滲み出てくる感じがする。そう、なんというか、じわじわと伝わってくる。「ああ、そうなんですね」ではない。じわじわとしたのが自分の中のなにかに触れて、ああ、こういうことかという言葉以上の受け取りが出てくるような気がする。

じたばたして死ぬことを肯定してくれるものが宗教にはあると思うからです。

 たしかにそうなのかもしれない。死ぬことを考えないでもない。でも本当にその可能性があるときとないときでは向き合い方が絶対違うと思う。今は、「じたばたしない」と思っている自分がいる。どこかにいるじゃなくて、わりと大きな顔をして自分の中に座っている。

 遠藤氏の書かれるなかで、自分があまり得意ではない「倶会一処」に似たことが、病により死を待つしかない人の慰めになると書いてあるところがあった。先に亡くなった祖父母、父母にあえるというようなことが。遠藤氏の文章から思ったのは、それは家族がいて、それにすべて安心して頼り切っていた幸せな時を思い出すことなのかなと思った。実際には会うという歓びよりも、その人と過ごしたときを今自分の体感として思い出して、なにかに身をゆだねるということなのかなと今までとは違ったことを思った。そうやって、死を迎える瞬間を乗り越えるのかと。

 じわじわ感じること。彼の文章には苦しみには必ず孤独があるということが通底している。これは本当にそうだ。仏教もキリスト教も関係ないのだろう。人間の苦しみはそこにある。どんなに近くにいても、わからない。

 宗教観。遠藤氏は、山に例えてどの道を通るかわからないが、宗教の行き着くところは同じかもしれないとおっしゃっていたが、ここは自分は違うような気がした。だってそれも誰も確かめようがないじゃないか。どこまでも自分が納得出来ないとだめな自分を再確認した。

 とても親近感が湧くというか、近くでお話をしてもらっているような本。宗教に関係なく、一度手に取って読んでみるといいと思う。自分が避けて考えていることをまっすぐに書かれるともう聞くしかないから。

 

◆『沈黙』レビュー

 

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