『本を読む本』 M.J.アドラー C.V.ドーレン
Twitterの読書家の方がお薦めされていたので買ってみた。
本を読む側の技術についての本である。文系で大学卒論書いた人なら人通り身につけていそうな読書法かもしれないが、目的に応じて体系的にその手法が書かれている。なんとなーくでここまできた自分の読書を見直す機会にはなった。自分が好む哲学・宗教分野においては分析読書とシントピカル読書をするのがいいのだろうと思う。でもまあ素人だからなあという逃げもある。
たまにブックレビューを見ると、自分が読んだ本に関して、「本当に同じ本を読んだのだろうか」というものにでくわすことがある。「批評家」だ。
著者の述べていることが、はっきりわかってもいないのに、臆面もなく批評家を気どりたがる人がいる。反対するだけでなく、自分の言葉でわかりやすく説明することのできない主張にも、簡単に賛成してしまう。そういう議論は、字面だけおっている読書と同じで、ただ言葉を並べているにすぎない。内容を理解していなければ、賛成しても反対しても、意味がない。判断を保留する場合についても、同じである。
そう。たまに著者に同情するときがある。わかってる人もいるよ・・・って・・・。
注釈書を読むときの心得。
・ベストをつくして一冊読む
・注釈書を読んで残っていた疑問を解決する
そうか・・・先に読んだらあかんのか・・・。ということで100分de名著を読むことをやめた自分はよかったのだと思うことにする。
宗教、哲学系の本を読んでて居てそうだなと思ったところ。
論じられている事実について、本当に賛成、反対するには、言葉の使いかたについて、著者と読者の双方に食い違いがないことが、不可欠の条件になる。内容を正しく理解した読者は、著者の精神と出会う。読者が、著者に賛成するか、反対するか、判断を下すことができるのも、この出会いがあればこそなのである。
本当に同じ単語使ってるかな・・・というくらい議論がかみ合わないことがSNSではままある。自分は一方的にブログに書いてしまうだけだが、気をつけようと思う。感想なんだけどね。これは。
ぶっちゃけ小説読むときは自由に!積極的に!ということなので、いわゆる「教養書」というものを読む人にはおすすめである。
じぶんが小説を読むのを現実逃避とか息抜きと感じるのも、自由になりてえ!というのがあるのだなと認識した。