如是我我聞

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『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ

 最近、この本を読んだ。

 そしてラストで出てきたのがこの著者の名前だった。ずっと積dleしていたので、これを機会に…という流れで読み始めた。

『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ  岩波現代文庫

 著者はウクライナ生まれのベラルーシ人(で表現いいのかな)。1978年ごろから第二次世界大戦で前線やパルチザン(共産制のゲリラ部隊)で活躍した女性たちへのインタビュー、生の声、声、声。そこに著者の感情は入っていない。読む者が自分で感じ考えるのだ。その材料として、声に出せなかった女性たちの叫びを丁寧に拾い上げているのがこの本の仕事の凄みである。

 戦時中の日本の女性は前線に出ることがなかったのでこういう証言はない。16歳くらいで前線に行くことを軍のライトマンに直訴するという発想自体文化的違いを感じる。

 自分の知らない国の少女、女性たちの経験した戦争。そこに英雄はいなかった。戦後は戦争に行っていたということをひたすら隠して生きるしかなかった彼女たちの人生。なんということなんだ・・・。

 表現が過激であるとか残酷であるとかそういうことに注目する必要はない。そういう経験をここに数百人分だけ見せてもらっているだけなのだ。ずっと読んでいくと、自分が如何に他者に無関心かを痛感した。だれひとりとして同じいのちなんてないんだ。当たり前のことだけど、それが全然わかっていない自分に気がついた。

 だれひとりおなじいのちはない

 生と死。死からもっとも遠い輝くような若さと溌剌さを持った少女たちが前線で血を浴び殺意を抱き、死を見送り、厭うこともできずに戦争という思い空気に押しつぶされていく。それを年老いてから掘り返すように振り返る女性たち。それは過去ではなくて彼女たちの今でもあるのだな・・・。

 自分は同じ経験をしていなくても、他者の経験を通してこのことは感じることができるのではないか。こう感じる人が一人でも増えていけば、「戦争をしない」という選択肢について考えることができるきがする。

 ウクライナはまだ戦禍の中にある。今もう一度この本を手に取って「戦争をする人」に自分がなることを考えてみてほしい。反対するのは簡単だ。その先にいかなくてはならない。

 気になったところ抜粋。

死にお願いしたり、言いきかせても無駄。

 

人間は死んで行きながらも、やはり自分が死ぬということが信じられないんです、自分が死ぬって思わない。

 

ねえ、あんた、一つは憎しみのための心、もう一つは愛情のための心ってことはありえないんだよ。人間には心が一つしかない。

 

 

◆戦争に関するレビュー

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