『死に学ぶ生の真実』高史明 法藏館
13歳で亡くなった少年の十三回忌に高師がされた法話の書き起こし。
ご自身も息子さんを亡くされたご経験がある高師がなんとも悔しい事故で亡くなった少年の遺族に語りかける。
悲しみから「ごめんね」が出てくる。第三者が見ているとそれって感情をこねくり回してそうなっただけじゃないかと言われるようなものかもしれないが、じっとその悲しみに目をこらしていると字面から離れたところで思うことがあった。
最近、一人目のお子さんを10ヶ月で亡くされ、その後に生まれたお子さんも成人してからの病に苦しまれたという方とお話しすることがあった。「誰もわたしの本当のくるしさはわからないと思う。本当のところは。でもわたしも他の人の苦しみはわからない。どっちがたいへんとかそういうことじゃない。」と仰っていた。その重みを思う。
それぞれの悲しみ、涙の中から生まれるものがあるというのはそうだなといまの自分も感じた。